本件殺人未遂事件の事実関係\弁護士脳汚染除去装置・化け物弁護士の封じ込め、弁護士妖怪大泥棒神社へ奉納としての時代絵巻

* 本件殺人未遂事件の事実関係\弁護士脳汚染除去装置・化け物弁護士の封じ込め、弁護士妖怪大泥棒神社へ奉納としての時代絵巻

:CATEGORIES: 2016年11月提出予定の告訴状
:TAGS: 告訴状の下書き,市場急配センター

2016-11-29 火曜日 18:02 >> [[ ←これからの記述範囲の開始時刻]]>>

 これから明日の夜、日付が変わる直前つまり2016年11月30日23時59分をタイムリミットとして、平成4年から年月を重ねた集大成としての告訴状を仕上げます。本当は丸2日間の48時間ぐらいをあてたいとも考えていましたが、大きなニュースもありずれ込みました。

 大きなニュースとは、歌手ASKA氏の執行猶予中の覚醒剤使用での逮捕のこともありますが、テレビで幻覚、幻聴の症状と思われる姿を目のあたりにして、客観的な自分の立場をより踏み込んで考える機会にもなりました。

 というのも平成4年の傷害・準強姦被告事件で、私選弁護人だった被告訴人木梨松嗣弁護士によって事実上強制的な精神鑑定を受けさせられ、本来意味のあった事実関係の全てを無視され、不当な判決が確定することになったからです。

 金沢大学附属病院において一ヶ月間の精神鑑定が実施され、山口成良金沢大学教授の鑑定書には、「精神病質の傾向を有する被告人の爆発反応」という記載もあり、その旨、鑑定後の法廷での山口成良金沢大学教授の証言にも発言があったと思います。

 自分はおかしくないなどと、いくら言っても無駄なばかりか、かえって立場を悪くするであろうことは、これまでたびたびご紹介してきた深澤諭史弁護士のストーカーをキーワードに含む数々のツイートにも現れています。

参考資料:「ストーカー」をキーワードに含む「深澤諭史弁護士(@fukazawas)」のツイート(2015-05-18 18:06〜2016-11-05 21:59)「1/116」件,https://hirono2016s.wordpress.com/?p=44591
参考資料:「ストーカー」をキーワードに含む「深澤諭史弁護士(@fukazawas)」のツイート(2015-05-18 18:06〜2016-11-05 21:59)「101/116」件,https://hirono2016s.wordpress.com/?p=44593

 上記のブログでのまとめ記事からいくつか深澤諭史弁護士のツイートをご紹介したいと思います。これは一つの方向性を定める目的があります。

ツイート:fukazawas(深澤諭史):2016/09/03 11:19: https://twitter.com/fukazawas/status/771895351863193600
引用→  これほど「被害者側から加害者を『治療』して欲しい」と声の上がる事件類型は珍しいかも。 ストーカーは「アイツが俺の思い通りになれば,俺は犯罪せずに済んだ。だから俺は悪くない。悪くないからやっていない」という思考経路で否認と思しき事案もあり,治療は本人のみならず社会のためにも急務。

ツイート:fukazawas(深澤諭史):2016/10/21 10:50: https://twitter.com/fukazawas/status/789282680785350656
引用→  仰る通りかと思います。他,ストーカー犯でも少なくないですね。 根底には,「相手が悪いから」「相手が俺の思うとおりになれば事件にならなかった」「俺は悪くないからやっていない(ことにしたい)」という気持ちがあると思います。 https://t.co/vztO3YfFbI

ツイート:fukazawas(深澤諭史):2015/05/23 11:46: https://twitter.com/fukazawas/status/601942165246214144
引用→  それはそうなんだけれど,本当に弁護士にもっとストーカー,労働事件,高齢化や貧困化に伴う事件について法的支援をさせたいのであれば,経費が償える水準の法律扶助,償還免除をもっと拡大しないといけない。

ツイート:fukazawas(深澤諭史):2015/05/25 23:19: https://twitter.com/fukazawas/status/602841532836630528
引用→  ストーカー犯罪について少しつぶやこうと思ったが明日以降にしよう。 つきまとうだけでなくて、「真意を確かめたい(知りたい)」名目で、凶行に及ぶところがあり、予想できないのが恐ろしいところではある。 (・∀・;)

ツイート:fukazawas(深澤諭史):2015/05/30 08:37: https://twitter.com/fukazawas/status/604431456580935680
引用→  http://t.co/NVZdUtGLjF ニコニコ動画でストーカーが扱われていますね。 動画と直接関係ないですが,ストーカーの,相手に拒絶の意思を伝えられているのにも関わらず,「真意を確かめたい」「本当の気持ちを確かめたい」「話し合いたい」という率は非常に高いです。

 1枚目のページにはTwitterのレイアウトスタイルの適用がありませんでした。個別のツイートだけだとツイートが削除された可能性が高いですが、ページ全体で無効になっているのは、無効となったなんらかのURLが含まれている可能性が高いと経験から考えています。

 特に注目したのは「真意を確かめたい」という部分ですが、これは私が長い間苦しめられてきた呪縛を象徴する言葉でもあります。深澤諭史弁護士が過去の私の資料を読んで使った可能性もあるかと考えますが、内心の問題でもなり、本人でないと確認できないことです。

 今回、この告訴状の最終局面にご指摘をしておきたいことは、被害者安藤文さんが意識不明の状態となり、話を聞くことができなかったので、本来、私と彼女を罠に貶めていた会社の関係者の供述を無批判に採用したことが、大間違いの始まりでした。

 時刻は19時49分になっています。19時過ぎに出かけたように思いますが、Aコープ能都店に買い物に行ってきました。明日の30日はレジの入れ替えとかの臨時休業となっていて、一部を除く生鮮食品の売り尽くしと広告にでていましたが、惣菜がほぼ全滅状態でした。

 いろいろと迷ったのですが、秋田産の大きめのハタハタが3匹のパックで350円の半額になっていたので、それを買ってきました。生のハタハタを買うのは珍しいことで小さめのを煮魚にしたことしかないのですが、これを塩焼きにしてみようと考えています。

 出かける直前に、ブラウザのタブで開いたままにしているシリウスAさんのタイムラインで、リツイートとして次のツイートを見かけました。最後の追い込みの時期なので、取り上げようか迷ったのですが、なにか心残りもあるので、ご紹介することにします。

ツイート:47news(47NEWS):2016/11/29 18:19: https://twitter.com/47news/status/803528717121138688
引用→  八木死刑囚の特別抗告棄却 埼玉の保険金殺人、再審認めず https://t.co/XFMskIspiq

 最近はめっきり保険金目的殺人という事件を見なくなったので、実際はどうなのだろうと考えることもあります。この疑惑の事件は週刊誌で報道を見たような記憶もあるのですが、一部で刑事弁護の神様と称される高野隆弁護士が担当したはずです。

 あえて過去形として書きましたが、現在の担当弁護士のことは何もわからないからです。この事件は以前、YouTubeの動画で、逮捕の少し前に苛立った被疑者が、飲み屋の店内で報道の関係者を殴りつける場面の動画を見たことがあります。

 その後、テレビの番組でも同じ場面の動画を見ましたが、そちらはぼかしが入っていて、実際の迫力が全く伝わらないものとなっていたのが、特に印象的でした。

 今日は買い物に出かける前の、テレビ金沢の「となりのテレ金ちゃん」で、日本全国の海女文化について放送を見ました。同じテーマで塩文化の紹介もあり、能登島から新潟県に広まったという話もありました。

 「参考資料扱いにした過去の告訴状の下書き」では一度は取り上げたことがあると思いますが、高野隆弁護士のことは、羽咋市に住んでいる頃にブログで見た士業のことがとりわけて印象的で、深く考えさせられるところがありました。

 内容は弁護士を士業として侍にたとえ、昔の時代であれば無礼うちなどと、強い憤りを表明されていたものです。私のTwilogで、士業と検索すれば、見つかるかも知れません。実行してみます。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2016/08/14 00:06: https://twitter.com/hirono_hideki/status/764478247014834176
引用→  奉納\弁護士妖怪大泥棒神社・金沢地方検察庁御中: ノースライムのツイートの記録:”弁護士業務を行う上で想像力はかなり大切なんだが”の前後の流れ https://t.co/ZU8CKVYrET

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2016/04/16 00:02: https://twitter.com/hirono_hideki/status/720990733788819456
引用→  .@fukazawas @zakiyama487 貴方こと深澤諭史弁護士にはブロックされているようなので伝わらないかもしれませんが、今後はなおいっそう社会的責任を自覚して責任のある初減を求めます。もとよりその前提で弁護士業界そのものに問題の提起と責任を問うのはもちろんのことです。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2016/03/23 21:19: https://twitter.com/hirono_hideki/status/712614693534179328
引用→  高島章(弁護士)さんはTwitterを使っています: “地獄の弁護士業界に追い打ち!テレビ局、起用弁護士の選別強化&NGリスト作成(Business Journal) – Yahoo!ニュース… https://t.co/v187zRUZLf

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2016/01/08 01:52: https://twitter.com/hirono_hideki/status/685141977034260481
引用→  紛争が大きくなれば、会社が負けたとしても、顧問料や係争費用で利益が出る。そのために会社に次々と違法行為をやらせて利益をむさぼる、反社会的な士業が存在している」と語り、「違法行為を助長するような士業の取り締まりは急務だ」と述べた。 https://t.co/EQllXhxqDn

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2016/01/08 01:51: https://twitter.com/hirono_hideki/status/685141706212274176
引用→  POSSE代表の今野晴貴氏は「『ブラック士業』という、違法だと分かっていながら、あえて違法な行為を会社に指南する弁護士や社労士が、一群の層をなしている」と指摘した。 https://t.co/Y0qtwtXwnY

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/12/19 16:27: https://twitter.com/hirono_hideki/status/678114485882757121
引用→  拙著『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』(文藝春秋、2012年)では、「ブラック士業」の手口として指摘したものである。 https://t.co/s2R1pDj9RQ

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/08/31 00:17: https://twitter.com/hirono_hideki/status/638007729009786880
引用→  @Hideo_Ogura @MDCtoGO @nobuyoyagi 小倉秀夫弁護士のような上面を引っ掻き回すような発言を軽く見て放置しておくことが、なによりも戦争や天災以外での不幸せへの最短経路になりそうです。無害化するか、毒をもって毒を制すで弁護士業界の打撃を期待するか。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/08/11 12:19: https://twitter.com/hirono_hideki/status/630941552995512320
引用→  警察、検察庁において是非参考にして頂きたいインターネット上における弁護士の発言/弁護士業界による深刻な権利侵害と深澤諭史弁護士のツイート・被害者AAさんの家族への23年以上放置され続けている権利侵害の実態の参考、導入編:… http://t.co/HRKAoxmiKn

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/06/10 22:49: https://twitter.com/hirono_hideki/status/608632179959181312
引用→  弁護士の不正を追及する市民団体の市井信彦代表(60)は「弁護士会の監督機能が働いておらず、複数の弁護士会で監視し合うなど、弁護士業界の抜本改革が必要だ」と話した。 http://t.co/XqJVxc828q

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/05/30 23:26: https://twitter.com/hirono_hideki/status/604655057892712448
引用→  ▶ ひといきつきながら NMB48篇 – YouTube http://t.co/j3H4NumB1d 「正しい道はたいてい険しい」と出た。泥棒神社(弁護士業界)を想う夜。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/05/29 21:00: https://twitter.com/hirono_hideki/status/604256047688237057
引用→  冤罪を生んだ責任の99・9%は捜査機関に <今村元・富山弁護士会会長声明 ・2008年頃>- 日暮れて途遠し(過去記事の転載から) | 告発-金沢地方検察庁御中_2014 http://t.co/SAiz20C8Pe いつも何度でもと社会に訴えかけた弁護士業界の一面です。

リツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)>2015/05/26 16:20/2015/05/26 16:15> https://twitter.com/hirono_hideki/status/603098389866090496
kk_hirono (告発-金沢地方検察庁御中_ツイッター)> https://twitter.com/kk_hirono/status/603097181168340992
引用>  **** EDITING 深澤諭史弁護士のツイートに見る、ストーカー問題に対する弁護士の経験的認識と予想及びそれと表裏一体にも見える弁護士業界の切り捨て独断体質

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/05/18 12:18: https://twitter.com/hirono_hideki/status/600138355771351040
引用→  弁護士業界における司法制度改革に対する皮肉らしい「お前ら成仏、俺モリハマ」をキーワードに含む主にツイートのまとめ(2015年5月18日現在): 金沢地方検察庁御中 http://t.co/yfHeXhKq7A

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/01/11 15:56: https://twitter.com/hirono_hideki/status/554169844933738497
引用→  @Hideo_Ogura @akimi_o 小倉秀夫弁護士隊長の目指す方向性、彷徨性について考えさせられるところです。弁護士界での単独遭難になるのか、弁護士業界全体の崩壊へと進んでいくのか。これまでの歩みを含めて。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/01/06 20:58: https://twitter.com/hirono_hideki/status/552434081590697984
引用→  @Hideo_Ogura @benben_c70 . さすがにどうにかしてよこの馬鹿を、と弁護士業界に向けて言いたくもなります。解き放たれた小倉秀夫弁護士のことです。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2014/12/27 23:28: https://twitter.com/hirono_hideki/status/548847816039100416
引用→  @Hideo_Ogura @kabutoyama_taro 弁護士業界の凋落は光市母子殺害事件にターニングポイントがあったのではと思いますね。近いところではPC遠隔操作事件もありますが。おぞましさが強烈過ぎます。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2014/05/12 18:24: https://twitter.com/hirono_hideki/status/465784535657897985
引用→  @Hideo_Ogura @tamai1961 このツイートをたまたま見かけましたが、弁護士及び弁護士業界が貧乏神の疫病神に見えてきました。です(とくダネ!の脳活ジョニーみたいな機会的感じ)。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2014/05/05 20:54: https://twitter.com/hirono_hideki/status/463285604848250880
引用→  相次ぐ冤罪・不祥事への反省ナシ! 取り調べ「全事件」可視化を阻止する捜査当局の悪あがき(1/2) | ビジネスジャーナル http://t.co/eY6oxFZqdL 最も弁護士業界は最も破滅的な状況にあるとも見ている。ウミネコのような厳しい目線で、高所から幅広く見つめたい。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2014/04/25 09:54: https://twitter.com/hirono_hideki/status/459495631933800448
引用→  @Hideo_Ogura @sinconditioning @naopata 小倉秀夫弁護士のネット上での振る舞いをみていると、弁護士業界自体が火付け盗賊にも見えてきますね。泥棒神社の弁護士界の神主とか。業火絢爛の大明神、ご本尊とか。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2014/04/14 21:43: https://twitter.com/hirono_hideki/status/455687802466729984
引用→  @Hideo_Ogura @tamai1961 @westlinen 相変わらず、「媚びず、顧みず、我が生涯に一変の悔いなし」の弁護士業界を象徴するような小倉秀夫弁護士の発言です。一分も救いようも感じさせないですね。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2014/03/11 23:13: https://twitter.com/hirono_hideki/status/443389163862499328
引用→  暴力による弁護士業務の妨害は、基本的人権を擁護し社会正義を実現することを使命とする弁護士制度に対する不当な攻撃であり、司法制度や法秩序に対する重大な挑戦であって、決して許すことはできない暴挙である。 http://t.co/kUjvzu7F1J

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2014/03/10 09:54: https://twitter.com/hirono_hideki/status/442825741542371328
引用→  @bengoshi_info 泥棒神社の弁護士業界は、まったく救いようもないので、溜めるだけためて一気につぶれて消滅してもらいたいものです。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2014/02/04 00:15: https://twitter.com/hirono_hideki/status/430358962433585153
引用→  @Hideo_Ogura そろそろあなたこと小倉秀夫弁護士ご自身の問題点に向き合ってみたらいかがでしょうか? 弁護士業界全体にも当て嵌まるかと思いますが、あなたの場合はストレートでわかりやすいです。それが救いの余地なのかもしれないですが。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/12/27 17:33: https://twitter.com/hirono_hideki/status/416487031079190528
引用→  林田力 ブラック士業研究 http://t.co/r6U6jmxxI8 ブラック士業、という言葉は初めて見たかと思います。弁護士や司法書士のことかと思いますが、弁護士の中では、サムライだと語る人もいました。法廷で気に障ることがあったらしくブログで昔なら無礼うちだと書いていました。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/11/08 20:10: https://twitter.com/hirono_hideki/status/398769499047874561
引用→  http://t.co/KqYIue6CWq 現実離れした過剰な期待を抱かせるという点では、弁護士業の右に出るサービス業はないように思います。私個人は「泥棒神社」という結論にも至っております。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/11/06 23:28: https://twitter.com/hirono_hideki/status/398094601208463360
引用→  頭や内臓が取り除かれているのは、食べれないほどではないけれど、腐敗臭がする為に調理された魚。残念ながらこういった魚も販売しなければ廃棄ロスが増え、魚屋は成り立たない。 http://t.co/ZJHDIVW5Ah ← 幸い見たことはないですが、弁護士業の成り立たないにも通じそう。

リツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)>2013/11/04 22:28/2013/11/04 22:22> https://twitter.com/hirono_hideki/status/397354565915672576
s_hirono (非常上告-最高検察庁御中_ツイッター)> https://twitter.com/s_hirono/status/397353111431311360
引用>  @Hideo_Ogura @eguchi2013 あえてカモ探しをやっているのかもしれないです。抜けるうち、取れるうちに今の資格で荒稼ぎというのが、よくあるパターンになっているのかもしれないです。業界人だけに見切りも早いのかと・・・・。弁護士業界のことです。私は泥棒神社とも・・・

リツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)>2013/11/04 21:17/2013/11/04 10:11> https://twitter.com/hirono_hideki/status/397336726105911296
Hideo_Ogura (小倉秀夫)> https://twitter.com/Hideo_Ogura/status/397169244929916928
引用>  「娘に売春させて生活費をまかない、自分は北海道の過疎地でリーガルサービスを提供する」という旧態依然としていない弁護士像を否定するくせに。RT @horatio2chsi: 旧態依然とした既得権的な弁護士業務を前提にしているのではないかと思えてきました…

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/11/04 17:13: https://twitter.com/hirono_hideki/status/397275427288252416
引用→  @Hideo_Ogura @domotwitta 過疎地や社会を愚弄していると思いますが、弁護士業界自体が早く自然消滅してほしいものです。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/10/09 23:29: https://twitter.com/hirono_hideki/status/387947849226665984
引用→  @Hideo_Ogura まずは弁護士業界として襟をただすところから初めてはどうですかね。破滅に向かうことは個人的には大歓迎ですが・・・。→ 小倉秀夫弁護士

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/08/26 21:22: https://twitter.com/hirono_hideki/status/371970842902949888
引用→  @sakanosi 安田好弘弁護士や佐藤博史弁護士の欺瞞性を無視した弁護士業界に明るい未来など、あり得るはずがないと思っています。もはや後戻りも出来ないことでしょう。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/04/06 11:04: https://twitter.com/hirono_hideki/status/320356307821543425
引用→  (引用→)被害総額10億円、被害者300人ともいえる弁護士業界始まって以来の詐欺横領 事件です。自己破産ではなく被害者の方が申し立てた債権者破産です。 岡山弁護士会は今回の横領事件は福川の単独犯で弁護士会には責任は ないと会見でも述べ http://t.co/N3mjUv2hSd

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/04/05 22:13: https://twitter.com/hirono_hideki/status/320162251090845696
引用→  弁護士小倉秀夫(@Hideo_Ogura)の国選弁護に関するツイート – Togetter http://t.co/jH4XuYPUyj 弁護士業界、破滅への貢献度は高く評価もしていたのですが、最近はそれどころではないと思うようになりました。健全な青少年への影響も考え。有害ゴミ。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2013/02/22 20:34: https://twitter.com/hirono_hideki/status/304917060205572096
引用→  スコープ2013:弁護士業務上横領事件 被害について「弁護士会に法的な責任はない」という立場だ。岡山弁護士会の火矢悦治会長は | 告発-金沢地方検察庁御中_2013 http://t.co/3r4R3DDjKq

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2012/03/09 11:14: https://twitter.com/hirono_hideki/status/177940282048921600
引用→  YouTube Jupiter(ジュピター)/平原綾香 – YouTube http://t.co/7maHSOUi すばらしい曲です。繰り返し聴いていると。日本の弁護士業界が暗黒星群に思えてきました。

リツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)>2012/02/25 00:07/2012/02/24 09:14> https://twitter.com/hirono_hideki/status/173061399768084481
motoken_tw (モトケン)> https://twitter.com/motoken_tw/status/172836820952948736
引用>  特に刑事弁護をする弁護士からは弁護士以下の最低評価。RT @nobuyoyagi: 間髪入れないお答え….w RT @crusing21: それは最悪ですね。RT @GJ_j24: @crusing21 橋下大阪市長の、弁護士業界での評判はどうなのでしょう?とふとおもいます。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2012/02/19 18:07: https://twitter.com/hirono_hideki/status/171158904330391552
引用→  廣野秀樹 – Google+ – こちらが「死刑に対する朝日の見識 -… http://t.co/EDGEdrEt 明日、最高裁で最終的な判断が出るそうですが、私の安田弁護士に対する疑問は、弁護士業界全体に対する疑問でもあります。ここに一つの区切りをつけておきたいと思います。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2012/02/05 15:58: https://twitter.com/hirono_hideki/status/166052981526118400
引用→  弁護士業界というのは、一度ペンペン草もはえない焼け野原のする必要がありそうですね。 RT @nosaibaninko: @hirono_hideki そうですか。大変でしたね。確かに一部の弁護士は司法制度改革以降の増員政策で劣化しています。インコの周りの弁護士にはいませんが、

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2011/05/20 18:07: https://twitter.com/hirono_hideki/status/71502206246977536
引用→  ブロックされているので公式RTできないです。→ RT @yjochi: 先のない弁護士業界だから、地味にこつこつやることが重要。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2011/05/20 18:05: https://twitter.com/hirono_hideki/status/71501871298252800
引用→  ブロックされているので公式RTは出来ないです。→ RT @yjochi: 弁護士業界は、もはや構造不況業種と見たほうがよい。昔の、牧歌的、薔薇色の時代の記憶を、一旦、頭の中から消し去らないと。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2011/05/01 06:45: https://twitter.com/hirono_hideki/status/64445314643402752
引用→  明治時代に代言人であった弁護士が、何故サムライになったのか不思議です。三百代言とも呼ばれて RT @asty_md:我々士業が何故サムライを名乗ることを許されているのか。少数精鋭の特権階級ゆえの矜持という、いささか口はばったいものを自らアピールしなければならない気恥ずかしさ。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2011/05/01 06:39: https://twitter.com/hirono_hideki/status/64443809513209856
引用→  噴飯ですが、一度は天下に向かった発言なので削除とかしないで欲しいです。 http://ow.ly/i/aYYe RT @asty_md: 我々士業が何故サムライを名乗ることを許されているのか。少数精鋭の特権階級ゆえの矜持という、いささか口はばったいものを自らアピールしなければなら

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2011/05/01 06:35: https://twitter.com/hirono_hideki/status/64442699037675521
引用→  不始末のケジメをつけるのに切腹するのが侍ですが、弁護士が責任を取ったという話は聞いたことがないです。 RT @asty_md: 我々士業が何故サムライを名乗ることを許されているのか。少数精鋭の特権階級ゆえの矜持という、いささか口はばったいものを自らアピールしなければならない気恥ず

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2011/04/28 14:31: https://twitter.com/hirono_hideki/status/63475407185383424
引用→  人様に迷惑の掛からない範囲で矜恃、信念とかもって欲しいです。 RT @asty_md: ないかな、と思ったんです。我々士業が何故サムライを名乗ることを許されているのか。少数精鋭の特権階級ゆえの矜持という、いささか口はばったいものを自らアピールしなければならない気恥ずかしさ。

 「弁護士業」が同じキーワードにヒットするとは思いませんでしたが、過去を振り返る意外な機会にもなりました。高野隆弁護士に直接関わるものはなかったですが、次はずばり「高野隆弁護士」で検索してみます。

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/10/29 18:43: https://twitter.com/hirono_hideki/status/659666762544345088
引用→  (引用→)原告弁護人の高野隆弁護士の話 我が国の歴史に大きな足跡を残す判例で満足している。  岩橋義明・最高検公判部長の話 主張が認められなかったのは誠に遺憾だが最高裁の判断なので真摯に受け止めたい。 https://t.co/n4tUk0ZeFt

ツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語):2015/03/23 16:38: https://twitter.com/hirono_hideki/status/579910141694353408
引用→  放火殺人被告に無罪=妻子死亡の裁判員裁判―さいたま地裁 (時事通信) – Yahoo!ニュース http://t.co/BtESyeGY67 落合洋司弁護士(東京弁護士会)のツイッターで知った。弁護人が気になる。埼玉県の大きな裁判というと高野隆弁護士のことが頭に浮かぶ。

リツイート:hirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語)>2014/09/23 01:31/2014/09/20 11:39> https://twitter.com/hirono_hideki/status/514089651456323584
okinahimeji (櫻井光政)> https://twitter.com/okinahimeji/status/513155530223669249
引用>  文句なしにかっこいいな。高野隆弁護士。・・・私たちの理念 http://t.co/CRP2luk8dt

 意外なことにhirono_hideki(奉納\さらば弁護士鉄道・泥棒神社の物語のアカウントでは、高野隆弁護士のブログでのサムライのことは見つかりませんでした。「サムライ」でやってみます。

 だめでした。Googleで「高野隆弁護士 サムライ」とやってみます。

高野隆弁護士 誰とでも – Google 検索 http://bit.ly/2gEO5Wh

 上記のように検索したことで、ようやく記事を見つけました。正確にご紹介するために、次に全文を引用します。

/ ********************(引用開始)********************
引用URL>>>>:http://blog.livedoor.jp/plltakano/archives/65591353.html 刑事裁判を考える:高野隆@ブログ:弁護士は誰とでもすぐに仲良くなれるとは限らない

2011年02月19日
弁護士は誰とでもすぐに仲良くなれるとは限らない
東京地裁の法廷の弁護人席で裁判官の登場を待っていると、スーツ姿の見知らぬ男女5名が法廷に入ってきて、そのうちの2人が傍聴席のバーを越えて、私の後ろに入り込んできた。残りの3人は法廷の反対側、検察官席に向かった。ジャケットの襟に司法修習生のバッジをつけている。私の後ろには長テーブルがあり、私のコートとカバンが置いてある。修習生が躊躇している姿に気付いた裁判所書記官は迷いもせずに、私のカバンとコートをどけて、修習生のための席を整えた。修習生は私に何の挨拶もなく、無言で私の背後のテーブルに着席し、もっともらしく三省堂模範六法の適当な頁を繰って目を落としているふりをした。

私の内部ではめらめらと怒りの炎が燃え盛った。が、今日は判決言渡しだけなので、依頼人のためにも我慢しようとした。そしてちゃんと我慢できた。

これほど失礼な、無神経な、無礼極まりない振る舞いがあるだろうか。無言で勝手に他人の所持品をどかして、挨拶もなく人の背後に陣取るなどということが許されるだろうか。江戸時代の武士の作法からすれば、私の背後に無言で近付いた瞬間に私に切り捨てられても申し開きは許されまい。現代の法廷において弁護人は訴訟記録や尋問メモを弁護人席において、法廷活動をする。ときには依頼人と小声でコミュニケーションをする。そのときに、背後に見ず知らずの他人がいるなどということはおよそ想定外である。そのような状態で十分な弁護活動ができるわけはない。

彼らは裁判官の下で実務修習をしているのであり、弁護人である私の下で修習しているのではない。私は彼らの名前もしらない。彼らは全くの赤の他人である。しかし、裁判員や傍聴人はそれを知らないだろう。私の後ろにいる以上、弁護人か少なくとも弁護人の関係者だと思うだろう。彼らが証人尋問中に鼻くそをほじっていたらどうだろう。被告人質問中に居眠りしていたらどうだろう。「被害者」の意見陳述の間に今晩の飲み会の打ち合わせをひそひそにやにやしていたらどうだろう。私や私の依頼人には彼らを管理できないのに、彼らの不始末の不利益はわれわれが負うことになる。

これは最近の東京地裁で頻繁に行われるようになったことである。私の1回だけの体験ではない。すなわち、東京地裁の裁判官たちは話し合いのうえで、組織的に修習生を当事者席に座らせることを決定したのだ。これほど不躾なことを事前に何の連絡もなく、さも当然のように一糸乱れず遂行できる裁判所というのは、一体どんなところなんだろう。それを指揮した裁判官という人たちはどういう人間なんだろう。少なくとも、彼らは、弁護人の法廷における仕事が秘密や自由を扱うセンシティブなものであることを理解していない。弁護士というのは、その背後わずか40センチの範囲を犯されても何も感じない人間だと思っている。それだけは確かである。

私が修習生をしていた30年前には、弁護修習中の修習生は弁護人席に座り、検察修習中の修習生は検察官席に座り、そして、裁判修習中の修習生は法壇の上の裁判官席に座ったのである。最近になって、裁判所は修習生を法壇から追い出した。それでも弁護人席に勝手に座らせることはなかった。法壇の横に修習生を座らせた。今回の動きは、おそらく裁判員裁判の法廷の構造が原因であろう。裁判員法廷の法壇は非常に大きい。そのために、法壇のうえ以外に修習生を置いておくスペースがない。現代の裁判官は司法修習生を法壇に置く勇気などない。弁護人席なら問題ないだろう。この小役人根性と弁護人を見くびる姿勢が今回の出来事の背景にある。

弁護士は、このような理不尽に対して黙っていてはいけない。依頼人のためにもまた刑事弁護のためにも毅然とした態度をとるべきである。その場で声をあげ、自分の背後から不逞の輩を追い払おう。そうでなければ、法廷における弁護の地位はますます矮小なものにされていくだろう。全国の同志よ。立ちあがれ!怒れ!

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plltakano at 23:09│コメント(20)│トラックバック(0)│刑事裁判 | 刑事弁護の実務

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 記事の日付が、2011年02月19日となっていました。まだ羽咋市に住んでいた頃に見たという記憶はあったのですが、羽咋市のアパートにいたのは同年の3月15日までだったので、その一月弱前ということになるようです。

 かすかな、タイトルのフレーズの一部が記憶に残っていたことで、なんとか探しだすことが出来ました。ずいぶん遠回りをしましたが、それがいくつもの再発見にもなったので、巡り合わせのようなものも感じます。

 弁護士がサムライと同一視するとか無礼打ちなどと公言するのは、すさまじい自意識の高さと社会に受け容れられるべき許容性の大きさを、間接的に考えさせられるものでもあります。

 平成4年から私の裁判が確定するまでの平成6年2月21日頃までの時期というのは、誰もが現在のようなインターネットの普及と個人の情報発信の機会の到来を想像はしていなかったと考えられ、ただでさえ閉鎖性の高い法曹業界だったはずです。

 SNSの黎明期ではありましたが、インターネットが十分に普及した平成20年の時点でも、ブログ主の主催者となっていたモトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)は、出る杭を潰すがごとく、容赦のない攻撃を加え、私に致命的ダメージを与えてくれました。

 Aコープ能都店の買い物から戻った直後には、市川寛弁護士の次の看過できないツイートも目にしていました。郷原信郎弁護士のツイートのURLの引用を含むものであり、あわせて次にご紹介します。

ツイート:imarockcaster42(弁護士 市川 寛):2016/11/29 09:29: https://twitter.com/imarockcaster42/status/803395442356555777
引用→  裁判所の意図に反して検察の「台本」を読んだ「汚染された証人」に依存して有罪にしたとしたら、ずいぶんおめでたい裁判所である。 https://t.co/tgyOiaXUFj

ツイート:nobuogohara(郷原信郎):2016/05/23 23:10: https://twitter.com/nobuogohara/status/734748270589710337
引用→  【美濃加茂市長事件、裁判所職権証人尋問を台無しにした”ヤメ検弁護士の資料送付”】と題して、ブログ「郷原信郎が斬る」を更新しました。⇒ https://t.co/l5RjChHklF

 よく見ると郷原信郎弁護士のツイートは今年の5月23日のものでしたが、なぜ12時間前に引用のツイートをしたのか、さらに気になるところです。もはや弁護士としての収入を得たい一心でのアップアップの状態なのかとも想像しました。全く迷惑な存在です。

 弁護士の必要に迫られた時、それがどれほどアップアップで、それこそ藁にすがる状態であるのかといことを経験しているだけに、憤りも激しく痛烈なものとなる弁護士の泥棒根性の泥棒商売の一端です。

 藤井美濃加茂市長が、有罪が当然で、弁護が不当などと批判するつもりはありません。むしろ刑事弁護にかこつけて警察、警察を挑発し、世論の不安と反感をかき乱す様は、光市母子殺害事件での安田好弘弁護士に実によく似ていると思われるものです。

 本日は朝の8時30分ころからテレビをつけ、夕方に買い物に出かけただけで、ほとんどずっとテレビをつけっぱなしで、情報番組をチャンネルを変えながら見ていましたが、美濃加茂市長事件の逆転有罪判決の報道はなく、報道の健全性を感じて安堵をしているところです。

 そういえば、午前中に見た北陸中日新聞の朝刊で、テレビでの報道と比較して思いの外、大きな扱いとなっていたのも藤井美濃加茂市長事件の控訴審有罪判決でした。ジャーナリストの江川紹子さんと落合洋司弁護士(東京弁護士会)のコメントの揃い踏みでした。

投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2016-11-29 22:12 ツイート: https://twitter.com/s_hirono/status/803587324206456834
2016-11-29_14.32.24.jpg https://t.co/RNvyeINtIR

投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2016-11-29 22:11 ツイート: https://twitter.com/s_hirono/status/803587304874876931
2016-11-29_10.57.05.jpg https://t.co/HhgeeMLElT

投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2016-11-29 22:11 ツイート: https://twitter.com/s_hirono/status/803587268338335744
2016-11-29_10.56.28.jpg https://t.co/l0vzJhy7O3

投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2016-11-29 22:11 ツイート: https://twitter.com/s_hirono/status/803587250533478400
2016-11-29_10.56.10.jpg https://t.co/EWThHELga9

投稿者:s_hirono(非常上告-最高検察庁御中_ツイッター) 日時:2016-11-29 22:11 ツイート: https://twitter.com/s_hirono/status/803587229587107840
2016-11-29_10.52.28.jpg https://t.co/1E6aUhbqFX

 次は、今、シリウスAさんのリツイートから知って、リンクを開いた記事です。部分的な引用をしましたが、意外な反応でもあり、記事に弁護士に触れた内容がなかったというのも、気になったところです。

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引用URL>>>>:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161129-00000130-mai-pol <美濃加茂市議会>藤井市長支援の声明 2審で逆転有罪受け (毎日新聞) – Yahoo!ニュース

岐阜県美濃加茂市の浄水プラント導入を巡って受託収賄罪などに問われた藤井浩人市長(32)が名古屋高裁判決で逆転有罪とされたことについて、市議会は29日、全員協議会で対応を協議し、今後も藤井市政を支えていくとの声明を発表した。声明を受け取った藤井市長は、市長続投に市議会の支持が得られたとの認識を示した。

 藤井市長は高裁判決から一夜明けた29日の市議会本会議で改めて無実を訴え、有罪判決を批判して上告したことを明らかにした。

 その後の市議会全員協議会では藤井市長の責任を問う声はほとんど上がらなかったという。声明は「逆転有罪判決で市民に心配をかけていることは誠に残念」と指摘する一方、「新年度予算編成の大事な時でもあり、市民生活を第一に考え、執行部と連携を図りながら、市議会が一致団結し市政推進に努めていく」としている。

 全員協議会終了後に記者会見した森弓子議長(62)は「(市長の)進退や責任に関する意見は出なかった。市長職を続けたいとの強い意向があるので見守っていく」と話した。

********************(引用終了)********************/

 今日、別のネットの情報で市長の任期が来年の6月までという情報も見かけていたので、市政の混乱を避けたいという思惑も共通して強いのかという想像もしましたが、上告審の決定が任期中に出なければ、郷原信郎弁護士のご利益は事実上のものとなりそうです。

 テレビのマスコミには掘り下げた情報提供も期待しましたが、郷原信郎弁護士のような異常な弁護士は、自分自身が過剰な検察批判に惑わされ取り返しのつかないかたちで時間を失ったという思いが強く、徹底的に無視するのが、世のため人のためとも思います。

 記事が次のように締めくくってあるのも、本来の法律の制度だと思い、それが弁護士の口からはありえなかったものだと思うと、感慨深いものがあります。

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引用URL>>>>:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161129-00000130-mai-pol <美濃加茂市議会>藤井市長支援の声明 2審で逆転有罪受け (毎日新聞) – Yahoo!ニュース

上告の申し立てを受けた最高裁は原則として書面で審理し、2審判決が憲法や判例に反していないか検討する。2審判決に重大な事実誤認があり、このままでは著しく正義に反すると認めれば破棄することができる。【小林哲夫、沼田亮】

********************(引用終了)********************/

 時刻は23時46分です。まだ、遅い夕食の途中ですが、ハタハタの卵の不味さに辟易し、驚いています。地元の宇出津港産としてもスーパーで見かける身近な魚でしたが、卵を見たのも多分初めてで、魚卵は美味いという固定観念が根底から覆りました。

 時刻は日付が変わって11月30日の0時05分となっています。ハタハタの卵の余りの不味さに衝撃を受け、次のページのコメント欄を読んでいたのですが、ハタハタは漢字で鰰と書くとしって、これも驚きました。

社会の窓かちゃんねる : ハタハタ漁が秋田でシーズン本番を迎える http://blog.livedoor.jp/cameron_madoka/archives/21063462.html

 ハタハタは、干物をスーパーで買って焼いて食べると、ほぼ外れなく脂がのって美味しいと思っていたのですが、その割に滅多に買って食べることのない魚で、よほど気が向いた時に、年に1,2回買って食べたという感じのお魚でした。

 先日も鮭の卵だけが大量に盗まれたというニュースがテレビに流れていましたが、ハタハタはこれだけ卵がまずいと経験すると、二度と食べる気がしなくなって、自然界の種の保存にも役立ちそうです。ネットで調べると好き嫌いははっきりしているとのこと。

 以前、YouTubeで秋田の方では堤防からハタハタが釣れるということで、釣り人が沢山集まっている様子を動画で見たことがあり、過去に横浜の港ではサンマが沢山釣れて、人が大勢集まったという動画をたまたま見たこともありました。

 能登半島の宇出津でも船ではハタハタが釣れるという話を聞いており、スーパーでも宇出津港産というハタハタを見かけていますが、堤防から釣れたという話は聞いたことがありません。この秋は、小木港でタチウオが釣れたという話も聞きましたが、過去にほとんどなかったことです。

 人生50年以上生きてきて、たまたま魔が差したような気まぐれで買ったハタハタのことで、実体験としての驚きを噛み締めていたところですが、ネットでも次の発見がありました。

リツイート:okaguchik(岡口基一)>2016/11/29 23:37/2016/11/29 11:32> https://twitter.com/okaguchik/status/803608911995551744
Hiroto_Minokamo (美濃加茂市長 藤井浩人)> https://twitter.com/Hiroto_Minokamo/status/803426414514999296
引用>  とんでもない裁判官に当たってしまったようです。 逆転有罪・・ https://t.co/7uOTFilc42

/ ********************(引用開始)********************
引用URL>>>>:http://www.kanaoka-law.com/archives/284 逆転有罪・・|名古屋市中区の弁護士法人 金岡法律事務所

本欄、平成27年11月11日で報告した無罪事件の検察控訴事案は、あえなく破棄・有罪判決となった(平成28年10月17日、名古屋高裁刑事第2部、村山浩昭裁判長)。この裁判長下でも着任後の1年半で無罪維持が1件(は)あることを考えると、精進が足りないと一先ず考える必要はあるだろうが・・唾棄すべきは、その姿勢である。内容に触れない限度で、以下、簡単に述べてみたい。

第1審は、随所で検察官の立証不足を指摘した。
そこで検察官は、種々の証拠を新たに請求した。事実誤認を主張する論旨であるから、やむを得ない事由が必要になるが、全て第1審段階で可能・すべきものと見受けられた。そして今般の高裁判決も、そのとおり、「やむを得ない事由」はない、と認めた。

しかし、である。
高裁判決は、要旨「第1審の証拠関係からも第1審の事実誤認は相当程度明らか」と断じて、そのように、「自分たちは無罪だとは思わない」という姿勢に基づく職権探知を「制限される謂われはない」と開き直った。
要するに、同じ証拠関係を見ても、自分たちは有罪だと思うから(破棄するためには新たな事実取り調べが判例上の要件となるため)「やむを得ない事由」のない証拠調べを追加で行うという、(有罪のための証拠集めのための)続審と化したのである。

********************(引用終了)********************/

 上記が引用されていたブログ記事の引用ですが、「唾棄すべきは、その姿勢である」という弁護士による裁判官批判です。名古屋市中区の弁護士法人 金岡法律事務所とあるので、弁護士の特定も出来そうですが、お腹いっぱいで調べる気もおきません。弁護士としての腐れっぷりがいかにも不味そうです。

 岡口基一裁判官の紹介のようなリツイートとなっていましたが、昼か午前中にも一つ気になるツイートを目にしていて、取り上げようか迷いがありました。

ツイート:okaguchik(岡口基一):2016/11/28 22:27: https://twitter.com/okaguchik/status/803228915519012864
引用→  2審でも業者の供述の信用性が最大の争点になりました。検察は「業者の供述は現金授受の場面を1つ1つ思い出しながら自発的に供述していて信用性は高い」と主張https://t.co/8FqZH22skR ところが,実は,業者の尋問の前に・ https://t.co/jlSL2x5AhK

 本人のタイムラインではなく、他のアカウントのタイムラインでリツイートとして見たツイートでした。引っかかったのは、「ところが,実は,業者の尋問の前に・」という部分です。

 今、岡口基一裁判官ご本人のタイムラインをさかのぼって探していたところ、一つあとのツイートとして、次のツイートを発見しました。

ツイート:okaguchik(岡口基一):2016/11/28 23:11: https://twitter.com/okaguchik/status/803239952926412801
引用→  ツイッター上に,裁判官を非難するつぶやきがあふれまくってる・・。 この番組のせいだな・・ https://t.co/hecnSopFCZ

 引用されているのは次の記事です。

NHKドキュメンタリー – ブレイブ 勇敢なる者「えん罪弁護士」 http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92225/2225445/

 これも先ほど、別のタイムラインで見かけた情報で、番組の放送のことをすっかり忘れていて見逃していたことに気がついたところでした。番組のことは既にご紹介していると思いますが、たぶん録画は成功していると思います。

 これまでに何度かミスをしていることですが、ちょうど月曜日辺りにハードディスクの整理をしていたからです。ディスクが一杯になっていることに気が付かず、録画に失敗していたことは、これまでに何度か経験していて、懲りないくせになっていました。

 ハタハタの干物といえば、羽咋市に住んでいる頃、ちょうど今頃の晩秋から初冬の時期だったと思いますが、宇出津の家に変える途中、志賀町のロッキーというホームセンターで、食品も沢山売っている店でしたが、そこで気まぐれで買って、実家に帰って焼いて食べたことがありました。

 同じ頃だったという記憶ですが、同じように遅い時間、22時ぐらいだったと思いますが、宇出津の実家に戻ったところ、母親がフクラギの刺し身を買い置きしておいてくれて、それを食べた時、とても美味しいと思ったことが印象的な思い出の一つとなっています。

 フクラギというのはブリの幼魚で4,50センチのサイズのものを指しますが、子供の頃は母親に無理強いで食べさせられたという嫌な印象しかないものでした。今でも滅多に食べることはないですが、冬場の一時期だけ美味しいと印象があります。

 それでもフクラギの刺し身を買うことはほとんどなく、どうせならともう少し値段の高い寒ぶりの刺し身を買って食べます。そのほとんどは売れ残りの、スーパーで夕方の半額の刺し身です。

 近年になって11月から寒ぶりと呼ぶと知りましたが、3日ほど前にどんたく宇出津店で税別190円で買ってきたブリのトロの部分の刺し身は、量もけっこうなもので、期待以上に脂も乗っていて美味しいものでした。

 母親がまだ元気な頃の思い出ですが、同じ頃には同じ残業が終わってから22時過ぎぐらいに宇出津の実家に戻った時間帯に、家に届いていた裁判員制度の分厚いパンフレットを袋から開いて読んだことも印象深いことです。まだ、制度成立前の少し前だったように思います。

 時刻は1時05分です。2分ほど前に録画していた、えん罪弁護士とかの録画放送を再生したところです。ディスクへの録画なので、何度でも再生、停止ができるので気も楽です。想像を超えた異常性を感じながら、最新の番組を見ています。

 時刻は1時52分です。一通りの録画再生で番組を見終えたところですが、初めのところは集中してみておらず、序盤と終盤では番組内容の印象もかなり変化したものとなりました。色々と感慨深いですが、月曜日の放送で、弁護士の反応の見ることがなかったことが気になるところです。

 時刻は2時13分となっています。NHKドキュメンタリー – ブレイブ 勇敢なる者「えん罪弁護士」 http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92225/2225445/ のページのコメントをかなりの数読んでいました。

 ずいぶんと高評価で、感動したという反響ばかりだったので、つい最近の社会の反応として、真摯に向き合い考えさせられるところがありました。本当に純粋で立派な弁護士とも思いましたが、弁護士全体の状況を知るだけに、複雑な気持ちにもなりました。

 たまたま、早めに番組録画の予約を入れておきながらも、番組のことを失念していたということもありますが、普段、注意深く観察している弁護士のTwitterのタイムラインで、関連したツイートを見ることがなかったことに、一抹の救いの光明を見た気持ちにもなりました。

 私は好ましく希望的な物事より、災厄をもたらすと危機感を感じる物事に集中して眼差しを向けるという傾向というか性癖があるかと思います。改めて、深澤諭史弁護士や小倉秀夫弁護士、刑裁サイ太の想像を絶する異常性を重視したいと思いを新たにしました。

ツイート:uwaaaa(サイ太):2016/11/29 16:06: https://twitter.com/uwaaaa/status/803495262656208896
引用→  新件相談がまた来たし,もう1件来そうだったけど回避したよ

 匿名で存在自体が事実上、インターネット上の幽霊、幽霊船の船長のような存在に思える刑裁サイ太ですが、ずいぶんと需要があるような発信もしていて、他に真面目にやっているであろう弁護士との関係性の上でも、真剣に考えこまされるところがあります。

 刑裁サイ太と深澤諭史弁護士に関しては、すでにインターネット上において、狂人性という最たる表現まで使って、大きな問題提起の警鐘をならしたつもりでいます。

 どこから、固定したツイートで「断罪法人日本鬼法曹協会」という表現を用い、仏門の守護神の切手をアイコンに使っているのか不思議でならず、神罰の生贄として差し向けられた業を背負った使者ではないかと思うところもあります。

 刑裁サイ太のタイムラインを開こうとした時に、郷原信郎弁護士のタイムラインで1つの更新を確認したところで、次のツイートになります。ブログの記事の紹介のようです。過去のものかと思っていたのですが、最新の情報かもしれないです。

/ ********************(引用開始)********************
引用URL>>>>:http://bit.ly/2gSrCZ1 控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件” | 郷原信郎が斬る

投稿日: 2016年11月29日 投稿者: nobuogohara

「これまで警察、検察と戦ってきましたが、裁判所とも戦わなければならなくなるとは思いませんでした」

今も全国最年少、32歳の若き市長が、控訴審逆転有罪判決の直後に漏らした言葉だった。

控訴棄却で無罪判決が確定することを固く信じ、「美濃加茂市民 完全勝利」という垂れ幕まで用意して判決を待っていた美濃加茂市民は、落胆の淵に叩き落とされた。

********************(引用終了)********************/

 ここまで読んだ時点で、こじつけでに盛り付けすぎの因縁めいた過剰表現で、一般市民を舐めすぎだろうと思いました。

 美濃加茂市のなかで市長を辞職させるべきという、大きな戸惑いや混乱があったことは、ずっと前に情報としてみており、贈賄者が有罪で収賄者が無罪となった事例はないというような客観的なデータの報道に、郷原信郎弁護士が常軌を逸した恫喝的ねじ込みを入れる必要もなかったと考えます。

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引用URL>>>>:http://bit.ly/2gSrCZ1 控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件” | 郷原信郎が斬る

袴田事件の再審開始決定では、死刑囚をいきなり執行停止で釈放するというサプライズを演じた村山浩昭裁判長は、「どちらの方向にも、大きくぶれやすい裁判官」という評判だったが、今回は、被告人の藤井市長にとっても、美濃加茂市民にとっても、最悪のサプライズとなった。

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 上記の引用部分はまったく意外な情報でしたが、とかく裁判官に心理的圧力を加え、我田引水の導きをためらいもなく図ろうとする、というのもジャーナリストの江川紹子さんに感じてきた手法です。

 またしても読んでいて頭の痛くなる屁理屈が書いてあり、まともに読む気が失せるとともに、時間の無駄という思いが強くなりましたが、いよいよ郷原信郎弁護士は、自己の体面をつくろうために詭弁を弄しているという乾燥が強くなりました。大変な厄介者です。

 検察が証人と打ち合わせもせずにぶっつけ本番で公判に臨むべき、と言っているようにしか思えない主張もそうですが、郷原信郎弁護士の主張通りに裁判をすれば、制度のとんでもない負担となるはずで、佐藤博史弁護士と全く良く似ている独善性の異常性と思いました。

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引用URL>>>>:http://bit.ly/2gSrCZ1 控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件” | 郷原信郎が斬る

被告人供述を「信用できない」とする理由として挙げたのは、中林が現金を渡したと証言している会食の際の「記憶が曖昧」だということだった。

しかし、この事件の裁判を傍聴してきたジャーナリストの江川紹子さんも、

《名古屋高裁は、藤井市長の記憶が曖昧だから信用できないとばっさり。でも、事件に関わっていない人に、1年半前の特定の日の出来事をつぶさに覚えていろという方が無理では。布川事件の杉山さんがよく言っていた…犯人にとっては忘れられない特別な日でも、俺にとっては何でもない普通の日だった」》

とツイートしているように、検察官との長時間にわたる「打合せ」で綿密に証言を作り上げてきている中林と、身に覚えのないことで1年半前の出来事を尋ねられている藤井市長とで、法廷で話す記憶の程度に大きな差があるのは当然だ。一審は、そのような被告人供述に何の疑問も指摘していない。それなのに、控訴審判決は、毎回公判に出廷していた藤井市長に全く話を聞くこともなく、「記憶が曖昧だから信用できない」としたのである。

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 上記はジャーナリストの江川紹子さんのツイートを援用しているような部分です。この二人が、検察批判を過剰に行ってきた社会的悪影響こそ、検証が必要なものと思われます。時間を掛けてつぶさに見れば、どれも似たような構図、理屈としか見えないからです。懲りない面々です。

 郷原信郎弁護士が意図的に行っているものとは断定できませんが、いたずらに理解しがたく、いさんくさい嫌悪感が強烈に漂い、入り混じり、それが長文の呪文のように響いてくるもので、思考を混乱させる内容のものです。

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引用URL>>>>:http://bit.ly/2gSrCZ1 控訴審逆転有罪判決の引き金となった”判決書差入れ事件” | 郷原信郎が斬る

裁判の当事者である被告人の弁護人に対して、「判決要旨」という判決内容を正確に記載した書面を交付せず、なぜかマスコミには判決直後に渡すというやり方は、藤井市長だけでなく、5万5000人の美濃加茂市民に対する「嫌がらせ」としか思えない。

市民に選ばれた美濃加茂市長に対して、一審判決とほぼ同じ証拠に基づいておきながら、「有罪ありき」の方向で証拠を評価し、市長の話を一言も聞かず、いきなり有罪にするという、不当極まりない判決を出した村山裁判長にとって、マスコミに便宜を図ることは大切だが、市民や市議会に対する便宜を図るつもりはないということなのだろう。

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 郷原信郎弁護士の控訴審判決後最初のブログ記事は、上記のように締めくくってありました。内容は、ジャーナリストの江川紹子さんのツイートと同じ、裁判所の対応を批判し、世論に疑問を投げかけているもののようです。

 まったく話しにならない異常な連中だということで、裁判所がそのような異例の対応をとったことは、より合理的な理由として個人的に納得できるものです。検察の対応でしたが、佐藤博史弁護士のPC遠隔操作事件でも似たようなメッセージと感じるところがありました。

 佐藤博史弁護士以上の悪あがきと異常性を感じるのが郷原信郎弁護士の対応であって、もう少し状況を見極めてから慎重な対応をするのかと考えていましたが、想定外の暴走モードとなっている印象です。

 この刑事裁判に関しては、逆転有罪判決の直後においてもコメントなしのニュース報道しかないぐらいですから、最高裁が美濃加茂市長の任期切れまで、決定を引き伸ばすのか見もの、というところです。

 藤井美濃加茂市長は、郷原信郎弁護士を弁護人として信頼を寄せたことで、市長という立場にとどまり、ここまで来れたという見方も出来ますが、実際が無実であれ、有罪であれ、郷原信郎弁護士の過剰な振る舞いで、この後の人生はどうなるのかと、他人事ながら心配したくもなります。

 少なくとも私は刑事裁判という制度に、国民として最低限の常識から真摯に向き合う立場で守るべき最低限のラインがあるものと考え、郷原信郎弁護士の根拠の乏しい理不尽な振る舞いは、全く許しがたいものとして見据えております。

 時刻は3時42分となっております。郷原信郎弁護士のTwitterをみると、フォロワー数が71,129と、いくらかプラスマイナスがあるものと想像もできますが、総数として129のプラスとなっていました。

 いよいよおかしい弁護士だという思いをあらたに、強くしたところですが、相対的な支持者の数は増えたのかも知れません。少なくとも私のように明らかに否定的な反応というのは、これまでのところ見ていません。敗訴も焼け太りになるのかと眠気も吹き飛ぶ、暗澹たる思いです。

 私は、郷原信郎弁護士だけでなく、佐藤博史弁護士がPC遠隔操作事件で検察や裁判所に掛けた負担も、身勝手で負担の大きなものであったと憤っています。刑事裁判の私物化という側面が大きく、他の被疑者はまともな捜査や審理を受ける時間を不当に奪われることになります。

 PC遠隔操作事件では佐藤博史弁護士の側で折れたようでしたが、検察は証拠を不同意とされた場合、80人の証人尋問を請求すると方針を明らかにしていた記憶が鮮明に残っています。

 私の場合は、なにも説明を受けないまま、国選弁護人だった被告訴人岡田進弁護士から説明がないまま、検察から申請のあった全ての証拠に同意したものとされていたことになるようです。

 被疑者の不満にいちいちまともに取り合っていては、国選刑事弁護などやっていられないという、ことに以前は理解をしていたつもりですが、そのような環境を醸し出し維持しているのも、弁護士商売の環境整備のようなものだと考えるようになりました。

 現在もえん罪は普通に起こる生活上の災難、リスクとして認知される環境下にあり、運良く誠実で有能な弁護士に出会えることで、救いの道が開かれるかもしれないという、不確かな期待だけが与えられているように思います。まるでいかさまパチンコ店のサクラ営業のようなものです。

 それは被疑者という立場でのことでありますが、私は被害者やその家族という立場から代弁者となって、弁護士の異常性と危険性を社会に訴えかけることができます。大きな犠牲を受けてのことで、私はそれを奉納というかたちで、社会に循環作用としての還元をしたいと考えています。

 時刻は9時24分になっています。8時半頃に目が覚めました。眠ったのが5時頃だったと思います。時間が限られているので、早めに目がさめてよかったです。

 テレビでは今日もASKA容疑者のことを取り上げていましたが、「弁護士が来るまで応じない」などと言っているらしく、それも気になりました。弁護士をあてに頼った人の不幸率の高さのようなものを感じました。

 私の体験では、弁護士に関わったことの不幸率の高さですが、こちらが不幸になった反面で、相対的に大きな利益をえて、商売繁盛を続け、地域を代表する基盤を確立した会社もあります。本件告訴事件の舞台となった市場急配センター株式会社のことです。

 平成3年の6月頃になって、それまで勤めていた金沢市場輸送から市場急配センターに移ることになった詳細な経緯は、過去の御庁に提出した告発状、告訴状という書面に記載があると思いますので、今回は大幅にご説明を省かせて頂きます。

 殺人未遂事件の幇助犯として7月に告訴状を提出した被告訴人は、岡田進弁護士、木梨松嗣弁護士、長谷川紘之弁護士、若杉幸平弁護士、小島裕史裁判長、古川龍一裁判官の6名です。彼らの関与、犯罪の成立に与えた影響を明らかにするには、無視された事実が重要です。

 私は、もうずいぶんと長い間、過去の裁判に関する資料を読み込んだりしていませんが、この告訴状においても資料は一切用いず、現在の自分の頭の中の記憶だけで、事実の経過と犯罪性のご説明をすることになります。

 7月の告訴状では、安藤文さんとの関係の事実で中途半端に終わった部分があったように憶えています。平成3年11月25日の電話のことも、その一つですが、どこまで書いたのか思い出すことが出来ません。

 その平成3年11月25日の電話で、安藤文さんは、私の質問に対して、好きな人とはだめになった、私が悪いげん、冷たかったかもしれん、冷たい感じするってよくいわれるぞいね、これからはやさしくしようと思っておるげん、などと話していました。

 その夜に彼女の自宅に電話を掛けることになった経緯も7月の告訴状で書いたように思いますが、私は自信をもって電話を掛け、期待以上に彼女もそれに応えるような対応をしてくれました。

 電話に出た彼女は、私から電話が掛かって来ることを待っていたような態度で、落ち着いて穏やかな対応をしれくれました。会社では、誰かに話しかけられないと、受け答えとして声を出さないような存在でした。

 いつみても、机に目を落として仕事をし、ときどきすごいスピードで電卓をたたいているのが印象的でした。独自の存在感をもつ女性であって、それでいてジーパン姿が多いなど、ラフにみえる一面もありました。

 なにかと自由なところの大きな会社で、牧歌的な時代だったとも思いますが、その雰囲気が彼女の性分にもあっていたようです。

 金沢中央卸売市場の大きな敷地に隣接した会社で、その市場の仕事を中心にする運送会社だったので、なにか安心感のようなものも大きかったのだと思います。

 もともとは相当警戒心の強い女性に見えました。彼女は平成2年の春頃に入社したはずです。その根拠も他の社員の入退社の時期にあわせ具体的なことを過去に提出した書面に書いたはずです。繰り返し。

 金沢市場輸送の事務所で、ほとんどが午前中だったと思いますが、一定の時間だけパソコンのデータ入力に来ていました。当時はパソコンという言葉はなく、コンピュータと呼んでいたように思いますが、まったく理解の出来ないような機械でした。

 金沢市場輸送の運転手は、浮ついたところのない同じ能登の輪島の者が多かったこともありますが、運転手仲間の間で彼女のことが話題になることも一度もありませんでした。

 ですので、私は長い間、彼女は中央市場か、その中の青果の仲買の会社の社員で、手伝いに来ているのではないかと考えていました。当時は知らない言葉でしたが、出向という勤務形態がしっくりくるイメージでした。

 平成2年の6月頃だと思いますが、片山津温泉の「ホテル長山」で一泊の慰安会があり、彼女は参加をしていませんでした。参加するのかと考えていたので、その時点で私は彼女が市場急配センターの事務員だと知っていたようにも思うのですが、思い出せるのはその程度です。

 7月の告訴状に詳細を書いたように思いますが、この慰安会では、私の出身の旧能都町関係の運転手と、金沢市場輸送の輪島の運転手の間で、トラブルがありました。

 その時に、被告訴人浜口卓也の姿がなく、そのすぐ後に市場急配センターで持ち込み運転手の仕事をするようになったと記憶にありますが、彼がいればもっともめていたとも想像しました。

 一方で、トラブルになることもなく打ち解けて仲良くなっていたという想像も働きました。輪島の運転手は輪島崎の一人を除き、海士町の出身者でその全員が、小木港の遠洋漁船に乗り組んでいたという話をよく聞いていたからです。

 被告訴人浜口卓也も小木港や姫の遠洋漁船の仕事を数年間やっていて、市場急配センターの年配運転手には、彼のことを「イカ」と呼ぶような人もいました。津幡の「まさやん」や大倉さんなどがそうであったように思いますし、被告訴人梅野博之もそうだったと思います。

 市場急配センターの事務所が出来たのも、平成2年の4月か5月ぐらいではと思います。平ボディ車でのイワシの運搬の仕事がほとんどなくなった頃は、まったくの更地で金沢市場輸送で余り使うことのないトラックの駐車場になっていました。

 鉄骨の建物で工事の完成も早かったのだと思いますが、いつの間にか事務所の建物が出来ていて驚きました。配車係だった藤田さんと吉村には、中継場にするという話を聞いていました。

 市場急配センターの事務所に初めて入ったのは、翌年、平成3年の4月頃のことで、輪島の運転手YAが、新潟県の能町の辺りで起こした接触事故の保険処理で、被告訴人松平日出男社長に用があると言って、それに同行したのが最初のことでした。

 その時に2階の事務所で、安藤文さんの姿を見た記憶があり、やはりここで仕事をしているのかと、納得したことを憶えています。それまではとかく謎の多い気になる存在でした。

 私はずっと長い間、安藤文さんを被告訴人竹沢俊寿会長の夫人の親戚ではないかと思っていました。そういう話を聞くことはなかったですが、親戚という税理士の姿が会社にあって、影の薄い存在でしたが、会社を身内で固めるというのもよく聞く話でした。

 時刻は11時51分です。昼食を作っています。焼き飯は作りました。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインで次のツイートを目にしました。

ツイート:motoken_tw(モトケン):2016/11/30 08:51: https://twitter.com/motoken_tw/status/803748367561998337
引用→  まあ、釣り垢なんだろうけど、病んでる人が可視化されるツイッターということなんだろうな。 https://t.co/sr1I4ieeY0

 昨夜、食べる予定で保温していたご飯を食べなかったので、それを焼き飯にしたのですが、いい感じの仕上がりです。先日テレビで、すし酢を入れることでご飯がコーティングされ、ぱらぱらになるとやっていたので、それをやりました。前回はお酢の入れすぎでした。

 京都新福菜館というラーメンを作って食べていました。先日の2食分の残りです。焼き飯は半分ほど残しました。冷蔵庫に入れて夕食に食べます。洗い物はまだです。

 謎の多い人物といえば、被告訴人竹沢俊寿こそその人でした。過去の書面に知る限りの情報を記載してきましたが、暴力団の組長をやっていたとか、土建屋の社長だったとか、福井刑務所では朝鮮人で20代ぐらいの時に日本に来たという話も聞きました。

 被告訴人竹沢俊寿本人が、よく口にしていたのは東京の中央大学に在学していたことで、空手部だったとも得意げに話していました。平成3年の終わり頃だったように思いますが、東京では大日本青思会という右翼団体に所属していたとも。正式名は大日本青年思想研究会とのことです。

 他との区別もあり被告訴人としておりますが、10年以上前に死亡している可能性の高い人物です。被告訴人安田敏は、死んだと言い、いつの話や、と吐き捨てるように私に言っていました。彼と最後に会った頃のことです。

 私が初めに金沢市場輸送に入社した昭和59年の時点で、重度の糖尿病と聞いていましたが、平成3年から4年の頃になると、姿を見せることもまれとなって、杖を使いなんとかやっと歩いている、という感じでした。夫人が横で支えるように寄り添っていた、という印象も焼き付いています。

 記憶にあるのは、平成3年12月10日頃のこと、午後の3時から4時という時間帯だったように思います。夫人と二人で市場急配センターの2階の事務所にいて、椅子に座っていました。

 その時に、たしか当時は森本の町外れにあった日野自動車の工場から私宛に電話があり、あるいは伝言を伝えるものであったようにも思いますが、電話をとった安藤文さんが、涙を流し訴えかけるような声で、私に何かを伝えたのです。

 会話の内容やもっと詳しい状況も過去の書面には記述があると思います。その数日後の12月13日の金曜日の夕方のことは7月の告訴状で記載をしたように思います。初めて裏駐車場で彼女が来るのを待ち、被告訴人梅野博之が通りかかったことなどです。

 7月の告訴状も提出してからまったく見直してはいないので、記憶に確証は持てないのですが、安藤文さんの裏駐車場での行動が始まったのが、11月30日の土曜日で、その初めの時は一番奥の場所に、被告訴人池田宏美の車と並んで駐車されていたことは、書いたように思います。

 次に竹沢夫妻の姿を見たと、はっきり記憶にあるのは平成4年1月中のことだったと思います。夕方の17時半か18時頃だったように思いますが、たまたま1階の運転手の休憩室に一人でいるとき、夫妻が入ってきて、食事に誘われたのです。

 私はすぐに適当な理由をつけて誘いを断ったのですが、その数日前に、輪島の浜上さんや被告訴人東渡好信が、竹沢夫妻は私を養子にして会社を継がせるつもりだ、などと言い出したのです。その場に被告訴人浜口卓也もいたようにも思いますが、現在の記憶は自信の持てないものとなっています。

 とにかく私は、平成4年に拘置所にいた頃から、ひたすら忠実に事実をありのまま記録することを心がけてきました。罠を仕掛けられた受けてという立場でしたが、事実を忠実に再現し組み立てて行くことが、真相の発見につながると信じて疑わなかったからです。遺跡の発掘作業にも似ていそうです。

 平成4年1月中の記憶は、記憶の新しい時期においても混沌とした部分があったと印象に残っています。憶えていることが多すぎて収拾がつけがたくなったとも言えます。パズルのピースの当て嵌めで、行き詰る断片がいくつかありました。

 平成4年1月中でも、1月19日以降の事実は整理がついていました。18日の土曜日の夕方は、遅い時間に被告訴人多田敏明を誘い二人で、金沢電装の向かいに最近出来ていた焼肉店で食事をしました。

 19日の日曜日は午後に、市場急配センターの会社で被告訴人多田敏明と落ち合って、一緒に名古屋方面に向けて出発することになっていました。

 約束した時間は憶えていないですが、少し過ぎた頃に被告訴人多田敏明が、初めて見る一人の友達を伴って、体を引きずるようにやってきました。

 ケガをしたので、運行の出発はできないと言い出し、昨日の夜遅く、男女2組で福井方面にドライブし、他の車の運転手と喧嘩になって、鉄パイプで反撃を受けたような話を始めました。顔を見たところ、殴られたような傷はなかったです。

 遊び優先で仕事をしたくないのか、とも考えましたが、被告訴人多田敏明は当時19歳だったので、それも仕方ないかと思いました。代役の運転手のことで休憩室から電話をしたようなことを、少し記憶に留めていますが、その先のことは今思い出せません。

 私は18日の土曜日にミールを積み置きしていたのだと思います。ミールの行き先は愛知県の名古屋港周辺から知多半島の倉庫がほとんどでした。ラーメンスープの出汁になるという話も耳にしたことはありますが、真相は不明です。

 ミールはイワシを主原料とした魚粉で、養鶏場の飼料として新潟県内の養鶏場に運ぶこともありました。金沢市場輸送の頃からやっていた仕事で、12月から3月ぐらいまでが忙しい仕事でした。ミールの倉庫移動という長距離ではない地場の仕事もありました。

 私の昭和59年の入社時にはなかった仕事で、その年の暮れか、翌年の暮れから始まった仕事だと思います。珠洲市の蛸島に本社をおく、浜田漁業金沢工場の仕事でした。ミールを製造する機械の処理能力は、一日600トンと聞いていたように思います。

 平成1年の12月頃からは北陸ハイミールの工場も稼働するようになり、北海道の釧路に本社がある会社と聞いていましたが、処理能力は一日1600トンで、日本海側で最大のミール工場だと聞いていました。釧路市の周辺から愛国運輸も出稼ぎでイワシ運搬の仕事に来ていました。

 愛国が地名であることは、根室市の花咲港に行った時の経験で知っていました。国道沿いにその地名の町を通過したからです。そういう体験がなければ、地名だと考える人は少なそうに思いました。金沢市場輸送よりはかなり小型のダンプで、10台弱ぐらいだったように思います。

 ミールの仕事は、その数年後になくなり工場も閉鎖になりました。日本海でのイワシの漁獲量が激減したためです。そう言えば、今年は宇出津のスーパーでもイワシというのは、余り見かけていないように思いました。

 12月から3月頃という冬場の時期が、日本海でのイワシ漁の時期でしたが、東北から北海道の太平洋側では、真逆の時期が漁期になると聞いていました。それもあって、釧路から北陸ハイミールが進出してきたと聞いていました。

 1月20日の朝、愛知県のどこでミールを降ろしたか記憶にはないですが、帰り荷を積むために、小牧市から岐阜県の可児市に向かっていたことは記憶にあります。可児市では木製のパレットを積み込みました。

 日が暮れるのが早い季節ですっかり暗くなっていましたが、夕方に北陸自動車道の金沢東インターを降り、浜田漁業金沢工場で積んできたパレットを降ろしました。金沢市場輸送で4トン車の長距離に乗務していた小柄で年配の小野さんの姿を見たことも記憶に残っています。

 会社に戻り、しばらく1階の休憩室に一人でいた場面も記憶にあります。それから自分の軽四で、東力のアパートに帰りました。以前はトラックのまま帰ったり、立ち寄ることが多かったのですが、平成3年の11月ぐらいに、入江の派出所で駐車違反の切符を切られそうになり、停めなくなりました。

 本当は、派出所の前で、トラックに取り付けられていた器具のようなものを警察官に取り外してもらった瞬間に、運転席に飛び乗り、「もうせんし」と一言残して、走り去ったのです。

 平成4年1月の初め頃だったと思いますが、夜に金沢市内花里の被告訴人安田敏のアパートから戻ってきた時に、東力ストアーの前で、追突事故をうけ、パトカーで来た2人の警察官の一人が、器具を外した警察官で、その時のことで派出所に来るように粘り強く説得を受けました。

 家に戻ってしばらくすると、前妻から電話がありました。11月の中頃以来の電話でした。あとで、タクシーでアパートにも来ましたが、タクシーのなかで待っている子どもには会いませんでした。

 すでに翌日の1月21日の夕方、仕事が終わってから安藤文さんと会って話をする約束ができていたと思います。

 この時も、4月1日の事件当日と似ていましたが、土壇場になって安藤文さんの様子がおかしくなり、約束などしていないなどと居直って怒り出すようなこともあったのです。

 前の夜に電話連絡も会って、直接会っていた前妻が、会社に電話を入れて、応対に出た安藤文さんの態度がおかしくなったようにも思え、私は誤解があれば、早く解消しておきたいと、あせりもおぼえました。

 1月に入ってから、夕方、退社するときの安藤文さんに声を掛け、担当していた大型トラック3068号の助手席に乗ってもらい、少し話をしました。いずれも彼女が、今日は用があると言って、会話の時間を短くし、次に会うことを先送りするものでした。

 2回目の時だったと思うのですが、安藤文さんは具体的に「美容院いかんなん(行かなくてはいけない)」と言い、こんな時間から本当に美容院なのかと不思議に思ったのですが、翌日会社で会った時は、見たことのないショートカットにしていました。

 それまでの彼女はいつもロングヘアーで、ポニーテールのように髪を後ろにしばる姿も、彼女らしい見慣れた姿となっていました。彼女はスタイルも良い女性で、裁判の資料には身長165センチ、体重50キロとなっていました。ヤセ型で小顔でした。きつい印象も与えますが笑顔を見せることもあります。

 身だしなみもきっちりしていて、会社でも私服がほとんどで、スカートよりジーパン姿を見ることが多かったという印象ですが、作業服のジャンパーや、事務服のようなものを着ていることもありました。社員の運転手も、支給の制服がありましたが、私服が多かったです。

 彼女の退社時間は17時になっていたと思います。ほとんどは17時半より前に帰っていたと思います。18時以降も会社にいたのは珍しく、10月12日の新車納入の日、11月26日、12月13日が記憶にあります。12月13日のことは先ほど書きましたが、18時を過ぎて私が諦めて帰ったのです。

 モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインの更新で、目についたものです、何を指しているのか、脈絡がわかりづらくなっていますが、一つ前にご紹介したものは、それらしい情報もついてはいたように思います。

ツイート:motoken_tw(モトケン):2016/11/30 13:18: https://twitter.com/motoken_tw/status/803815437184090112
引用→  釣り垢のご本人は、社会的不適応状態にあるか、その一歩手前の可能性が高い、のではなかろうか?

 元検事でロースクールの教官であったことも大きな看板に掲げておきながら、私の社会的不適応状態を悪化させておきながら、私の3つのアカウントをブロックし、被害妄想だのストーカーなどとツイートをしておきながら放置しておいて、気ままなものです。

 次のツイートは、今みたところの刑裁サイ太のリツイートのものです。警察を批判し、警察に対する不信や不安を煽っているような内容です。

ツイート:lawkus(ystk):2016/11/30 13:34: https://twitter.com/lawkus/status/803819500315418628
引用→  なぜ事件報道で、次々に被疑者の供述内容などが見てきたような克明さで報道されるのかって、警察がリークしてるからですよね。ここまでは誰でもわかってるでしょ。なのにどうして皆、被疑者が乗ったタクシーのドラレコ映像が報道されたらタクシー会社が流したと思うの?普通に考えたら警察でしょうよ。

 ついでになりますが、ローカスこと実質実名弁護士には、次の2つのツイートが特に印象的で、警察官の職業的社会性や人間性の根源から深く考えさせられるものです。

ツイート:lawkus(ystk):2016/10/19 22:07: https://twitter.com/lawkus/status/788728342941868034
引用→  「多少略奪強姦などしたとしても兵隊さんは頑張った」みたいな話ですねわかります https://t.co/KYkQvH3btK

ツイート:lawkus(ystk):2016/10/20 00:46: https://twitter.com/lawkus/status/788768363719696384
引用→  土人発言は徹底的に批判するとしても、若い末端の職員が頭に血が上ってやったことだろうし再起不能まで追い詰める必要もないよね、というバランス感覚は持っていてほしいと思う。しかしどうも社会的に殺す勢いで叩いている人が多く、それはそれで違和感。

 一つ目のツイートにURLが引用されているのは次のツイートで、どちらも沖縄県における大坂府警機動隊員による土人発言問題に向けたものです。

ツイート:gogoichiro(松井一郎):2016/10/19 21:12: https://twitter.com/gogoichiro/status/788714332670402560
引用→  ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。 https://t.co/W1oS7Gko1e

 リンクを開いて確認し、思い出したものですが、テレビでも繰り返し紹介されていたツイートでした。大阪知事だと思います。

 今も、テレビでミヤネ屋をつけながら作業をしていますが、テレビの方は集中しないで見ています。藤井美濃加茂市長事件の続報でもあればと期待はしていますが、まずなさそうな感じです。

 昨日もそうでしたが、ASKA氏が再び覚醒剤の使用で逮捕され、それが異様な展開であったことから、覚醒剤使用における妄想や幻聴の深刻性が、今までになく強調されて報道されています。

 さきほども、妄想は人生そのものとなる、というようなコメンテータの解説がテレビから聴こえてきました。

 覚醒剤や薬物問題は、昭和の時代から大きく取り上げられ報道されることがありました。芸能人の逮捕というのもいくつかありました。それでも情報化社会や科学、医学の発達が進んだためか、最近の報道はずいぶんと質が変わったとも感じています。

 説得力はあるのですが、過剰な不安や誤解を招く危険性が高まっているようにも感じます。私自身、刑務所では薬物事件の受刑者も多く接してきましたが、個人差があるものの、そこまで深刻な問題として考えることはありませんでした。

 それでも、犯罪者や前科者に対する偏見のようなものは、ずいぶんと薄れてきていると感じることがあります。昔は、テレビも限られた数のチャンネルで、それは今も大差はないですが、インターネットもなかったので、総体的な情報源というものは遥かに乏しく、限られていました。

 私は刑務所という制約の大きな環境で法律の勉強をしたこともあり、ずいぶんと不便な思いをしました。紙とペンと本だけの生活は、明治時代と変わらないように思うこともありました。そういう時代が、専門家が珍重され、頼りにされる時代であったように思います。

 専門家として情報を独占し、支配し得た時代であったとも考えます。小倉秀夫弁護士は最近も、記録力には自信があるのでメモの必要性など考えてたこともない、というようなツイートをやっていました。確かにそのような能力はずば抜けて高いのだろうと考えることもあります。

 当時、それほど深刻に考えることはなかったのですが、被告訴人梅野博之が、安藤文さんに「そんな顔しとったんか。シャブ中みたいやな」などと声を掛けたことがありました。私がいる場の2階事務所でのことで、1月の初め頃だったと思います。

 私と安藤文さんの個人的な関係で1月から4月と出てくるのは平成4年しかなく、6月から12月というのは平成3年しかありません。

 1月は4日だったように思いますが、午後に会社で新年の顔合わせがありました。被告訴人松平日出男が換気扇の方向を指さし、安藤文さんが私の方に顔を向けたことなども、過去の書面には書いてきたはずです。彼女は不安そう見える状態で、被告訴人松平日出男は配慮のような行動を見せました。

 本当はもっとうまく状況の描写もしたいのですが、前後の記憶も薄れてぼやけたものになっています。私が2階の事務所に入った時、ほとんどの社員、運転手がすでに集まっていました。一番遅れて入ったように思います。

 新年の顔合わせは短い時間でお開きになりました。お菓子やおつまみのようなものが、たくさん置いてありました。私はその場で、被告訴人浜口卓也に誘われ、一緒に諸江町の河野秀美さんの家に行きました。

 河野さんの家の前で、被告訴人浜口卓也が小浦の港で買ってきたというブリをさばき、あとで被告訴人松平日出男とカベヤという人物が二人で来たことも、過去の書面には書いてきたと思います。

 その夜、私はいち早い新年の初仕事として、岐阜市内の市場に荷物を運びました。岐阜の市場は滅多に行くことのない市場で、ほんの数回しか行ったことがありません。地理的には名古屋より近いですが、岐阜県内というのは、魚も運んだ記憶がありません。青果物がまれにあるだけです。

 10月の初め頃にも一度、岐阜の市場に行った覚えがあり、帰りに岐阜羽島のインターの近くの公衆電話から、被告訴人安田敏のアパートに電話を掛け、安藤文さんに告白する決意を相談した記憶があります。おみくじソーダを手にしていたような記憶もあります。

 1月の上旬で10日より前の頃の記憶としては、特に印象的なものとして、コーヒーメーカーのことがありました。ずっと長い間、事務所の台所で姿を見なくなっていたコーヒーメーカーにコーヒーがいれてあったのです。

 「これ飲んでいいけぇ?」と、申し訳のような声をかけると、安藤文さんが大きな声で「うん」と返事をし、椅子から立ち上がって、私のいる台所の方に歩いて来たのです。ずいぶんと思い切った表情に見えましたが、とっさのことに戸惑った私は、すれ違い逆の方向に進みました。

 そのとき、被告訴人浜口卓也が私の方に歩いてきて、意味ありげに笑いながら私を彼女のいる台所の方に押し戻すような動きをしたのです。それは4席の応接セットでの話し合いが終わったタイミングでした。

 話し合いをしていたのは日産ディーゼルの人で、たぶん2人で来ていたのだと思いますが、新車で導入する大型トラックの話をしていたのです。金沢市場輸送でも日産ディーゼルのトラックの導入というのは例がなく、市場急配センターでも初めての取引だったはずです。

 中西運輸商は日産ディーゼルのトラックが多く、日野自動車のトラックはなかったように思いますが、手形の審査などがゆるく一番、買い求めやすいのが日産ディーゼルで、一番審査が厳しくなって導入しづらいのが、日野のトラックをいう人もいました。

 金沢市場輸送では日野、いすゞ、三菱ふそう、と日産ディーゼル以外のトラックが導入されていました。国産の大型トラックはこの4社だけでした。

 新車で導入されることになった日産ディーゼルの大型車は、被告訴人浜口卓也ともう一人の乗務が決まっていました。河野秀美さんだったようにも思いますが、記憶がはっきりせず、4月1日までにトラックを見たという記憶も現在はなくなっています。

 断片的に記憶にあるのは、3月の中頃に納車された新車の大型車で、浜上さんが乗務したように思います。それまでになかった保冷のウィング車で、定温でバナナを運ぶために装備したような話も聞いたように思います。

 それも日産ディーゼルのトラックだったような気がします。新潟方面に向かって一緒に走ったような記憶もおぼろげなものとなっていて、富山県内の有磯海のサービスエリアで、一緒にいたような記憶も同じ程度の輪郭で残っています。

 よりはっきりと記憶にあるのは、久しぶりに金沢市場輸送の輪島の運転手と一緒になったことで、同じく有磯海のサービスエリアのレストランで一緒に食事をしました。夕方に近い時間でしたが、明るい時間帯でした。

 金沢市場輸送の輪島の運転手とは、茨城県内の国道50号線で水戸市方面に向かって、一緒に走行していた記憶も残っています。どこで荷物を降ろしたのか思い出せないですが、その後、栃木県の今市市の方から葛生町に行き、石灰を積んだ記憶もあります。

 その帰り荷の石灰も、被告訴人東渡好信が紹介した七尾市の丸一運送の仕事で、栃木県の葛生町には3,4回、岐阜県の大垣市には2回、石灰を積みに行った記憶があります。どちらも町外れの採石場のような場所で、江戸時代の苦役場として時代劇に出てくるような雰囲気がありました。

 いずれも2月の下旬から3月の中旬までの運行だったと思いますが、大垣市に2回目に行った時は、被告訴人多田敏明を同乗させていました。同じ時の運行だったと思いますが、名古屋北部市場で夜中に荷物を降ろしたことも憶えています。

 私の考えで被告訴人多田敏明を同乗させて運行に出ることはなく、指示を受けて同乗させていたのだと思いますが、なぜ同乗させていたのか、いよいよ不思議に思える運行でした。

 石灰は、七尾市の田鶴浜町の倉庫で降ろすことと、松任市(現在は白山市)の駅の近くの線路沿いで降ろすことがありましたが、どちらも橋本商事という社名でした。

 他に一度だけ、七尾市内の恵寿病院の近くの川沿いで、橋の上にトラックをとめて石灰を降ろした記憶があります。この時は粉塵がひどくて気分が悪くなりました。昼前に市場急配センターの会社に戻ってきましたが、これが3月5日という記憶です。

 石灰の粉塵で体調が悪くなり、集中力も思考力もかなり低下していた状態でしたが、会社に戻ったところで、被告訴人梅野博之が安藤文さんに、彼氏に振り込みをしたのかなどと、私の前で彼女に注意を向けさせるような、話しかけを始めたのです。

 このときの具体的な被告訴人梅野博之の発言は、記憶がぼやけています。安藤文さんの受け答えも思い出せませんが、はにかんだような対応で、指に細めの指輪が見えました。その時は中指だったように思うのですが、どちらの意味かわからず、あとで被告訴人安田敏に質問をしました。

 中指と薬指のどちらかが恋人募集中であることは、なんとなく知識があったのです。その3月5日の夜、安藤文さんに私の自宅に電話を掛けてもらいました。3月5日の夜のことは、長い間、思い出す努力もしたことがなかったので、思いの外記憶が劣化しています。

 3月23日の電話ほどではなかったですが、3月5日の電話も安藤文さんとの関係で意味の大きなものでした。私が彼女との関係に慎重になったのは、1月25日の夜の電話で、彼女の母親が初めて警戒心を見せるような態度を示したことがあったからです。

 その日、彼女は17時の退社時間の5分ぐらい前だったように思いますが、泣いたようにうつむきながら足早に帰って行きました。私は1階の休憩室から、たまたま外を見ていて、その姿を目にしたのです。

 その日、彼女はめずらしく黒のセーター服だったと思いますが、あるいは水色で、やはり黒だったと思いますが、その首元に金色のネックレスをつけていました。

 11月25日の夜に話を戻しますが、電話で会話が始まってすぐ彼女は、「広野さん、いくつのとき結婚したん?」、「私、早く結婚したいぞいね。いままだいいけど、あと2,3年したらあせるぞいね。」と話しかけてきました。

 そして電話の終わりには、「本当はアヤちゃんのことすごく思っとるげんけど、俺に思われて気が重くなるようなことないけ?」という問い掛けに、「全然だいじょうぶや。」と答え、さらにまた電話をしてもよいのか確認すると、いいよ、と答えてくれました。

 それまでは、会社での彼女の態度や行動に触発され、長い時間考えぬいて行動に移し、いきなり電話を掛けていました。会社に掛けた電話で私の方の自宅に電話を掛けてもらったのは、10月5日のことです。

 初めて彼女の自宅に電話を掛けたのは10月12日のことでした。これは7月の告訴状に書いたようにも思います。

 こうやって過去を振り返りながら安藤文さんとの関係を書いているうちにも、深澤諭史弁護士のストーカーに対する考え、ツイートのことが頭に浮かんできて、実に不快な思いになります。

 どんなに仲好く、相思相愛であった男女でも、関係が崩れ、ストーカー事件に発展することは、ありがちなことになっています。

 初めに安藤文さんからの好意を、意識するようになったのは8月のことで、不在の郵便物を、私の家の近く行ってきてあげる、と言われたことが大きいと思いますが、当時はもっと他に、意識することがあり、まさかの思いがありました。

 実際のところ、彼女が私に意識を向けるようになったのは、被告訴人池田宏美、被告訴人松平日出男、被告訴人梅野博之らの後押しが大きなもので、竹沢夫妻の態度がより強い影響を与えたとも考えられます。

 竹沢夫妻は私の仕事ぶりを高く評価し、気難しく見られがちな夫人は、特に感謝の気持ちを私にあらわしてくれていました。

 それは初めの昭和59年に入社した時の素行が悪すぎて、2度目に入社した昭和61年8月以降の仕事ぶりが、とても真面目なものに映ったのだと思います。中西運輸商で殺人的な激務を経験していたので、普通の仕事が本当に楽に感じていました。

 中西運輸商では運行自体もきついものでしたが、全長が大型車と20センチしか変わらない箱の長さが9メートル20センチ、高さが大型車と同じ3メートル80センチの規制ぎりぎりで、床が大型車より底床だったので、大型の保冷車とは比較にならないほど沢山の荷物がつめました。

 佐川急便の仕事で、北陸からの荷物は富山のアルミサッシや、金沢、加賀市の漆器、福井のアシックスなどのスポーツウェアなど、かさばって軽いものが多かったのですが、拳が入らない隙間で荷物を満載にするというのが、当時の決まりで、1個でも満載でも1車の運賃は同じとされていました。

 荷物の量が満載の3分の1ぐらいかと思う時でも、台貫に乗せられ重量オーバーで反則切符を切られた時は、荷物の分だけで5,6トンという重量のときもありました。

 トラックの後輪は2つのタイヤが並べて装着されていますが、荷物を積むと停車している状態でも、2つのタイヤの間に指が入らないほど、タイヤが重みで変形していました。

 何度もタイヤが爆発したので、平地でも90キロ以上のスピードは出せませんでした。中国自動車道は上り下りの坂が多く、きつい坂だと30キロ以下にスピードが落ちましたが、本当に恐ろしいのは長い下り坂でした。

 当時の佐川急便は時間制限も厳しいもので、軍隊的な社風もイメージが世間に定着していた時代でした。当時、佐川急便の自社便は長距離運行をしないとも聞いていました。本来の佐川の仕事は市内の集荷と配達だけでしたが、何かと厳しいことがありました。

 中西運輸商の佐川急便での仕事は北陸からの広島・九州便でした。私はまだ大型免許を取得できない状態で、4t車に乗務していましたが、安定感のある大型車に乗務した時は、本当に仕事が楽だと感じました。タイヤが爆発したり、ブレーキから煙が上がる心配もほとんどありません。

 中西運輸商では、七尾市石崎町出身という社長のこだわりで、タイヤを爆発させたらどのような状況でも自分で直せと決められていました。交通量の多い名神高速で爆発することが多かったのですが、自分でジャッキを掛けて、本線通行のトラックの風圧で、車体が揺れる中、タイヤ交換をしていました。

 ジャッキが外れれば、車体の下敷きになってお陀仏になっていた可能性も高かったと思いますが、運もよかったのかジャッキが外れるようなことはありませんでした。居眠り運転なども日常茶飯のことで、命知らずの馬鹿だったのだとも思います。

 金沢市場輸送で大型保冷車に乗務するようになったのは昭和62年4月のことです。佐川急便は規則の厳しい仕事でしたが、市場の仕事、特に鮮魚は別の種類の厳しさがいろいろとありました。荷降ろしも、卸先や卸場所の違いが多いので、何かと大変なことがありました。

 中西運輸商は当時金沢で、仕事がきついとか今でいうとてもブラックな評判の会社でしたが、当時はそんなところで修行をしたいという思いが強く、確かに他にない経験をして、財産のように身についたものも、とても大きかったと思います。

 仕事は真面目にやるかどうかより、工夫をして真面目にやらないと、つけが回ってきていっそう厳しいものになる、というのが嫌というほど経験してきた持論でした。頑張って慣れれば慣れるほど、合理化や時短につながり、余裕も出来てきました。経験値を高めることです。

 当時は思い上がったようなところもあったように思いますが、とにかく竹沢夫妻には評価されました。それは他の扱いにくい運転手をうまく使うための知恵とも思えましたが、時代がちょうどバブルの絶頂期に突入していき、仕事はいくらでもあるという時代になっていきました。

 始めたばかりで慣れないこともあったと思いますが、昭和59年に金沢市場輸送で4t車の長距離の仕事をしていた時も、なにかと厳しい仕事をしていました。小口で積み込み先や卸先が多い仕事もほとんどでした。経費節減で、下道もほとんどでした。

 市場急配センターの大型車での長距離業務は、1箇所積みが多く、卸先も多くて2箇所だったので、本当に楽だと思うことがありました。高速道路の使用も昔の金沢市場輸送とは比較にならないぐらい認められていました。ちなみに支払いはカードです。

 各地で高速道路も伸長され、運行が本当に楽になりました。山形自動車道が出来てからは、笹谷トンネルの急坂の急カーブを下ることもなくなりました。特に路面が凍結するような冬の時季は、下るのが恐ろしい坂だったと今でも思い出します。

 冬場では笹谷トンネルのあたりが渋滞して、トンネルを抜けて宮城県から山形県に入るのが、午後5時頃になることもありましたが、山形自動車道が出来てからは、急ぐこともなく、その時間に新潟市内のバイパスを走行することもありました。

 市場急配センターでの長距離の仕事は、歩合制ではなく基本給として50万円ということになっていましたが、運行費という食事代も月に8万円ぐらいは出ていたと思います。

 市場急配センターでは、直に金沢中央卸売市場の石川丸果の仕事をすることもあり、山形から金沢まで運んだリンゴは運賃が20万円を超えていたと聞いたこともあり、将来性も見込めました。

 金沢市場輸送では孫請けやその下の仕事も多く、一度、会社の配車の指示のまま青森県の弘前市からリンゴを積んで北九州市の市場まで運んだことがあったのですが、運賃が5万円だったとかで、なぜそんなものを積んだと言われたこともありました。

 東京の築地市場まで荷物を運んでも帰り荷が見つからないことが多く、現地で長い時間待機させられたあげく、空荷で帰れといわれ、全部下道で帰らさせられることもありました。

 それでも他の一般の荷物の運送会社ではもっと厳しい話をきくことも多く、金沢市場輸送では山口インターか小郡インターから先の九州方面の高速道路の利用が認められていました。長門や萩市から国道を走ると倍ぐらいの時間が掛かりました。

 当時は、大型車で高速道路を140キロのメーターを振りきったまま走るのは、事実上普通のことになっていましたし、そうでもして時間稼ぎをしないと、あとで余計に無理をしなければならないこともありました。雪道の走行などです。

 雪道ではできるだけ先を急がないと、通行止めでとんでもないことになる可能性も常にありました。路面の凍結にも神経を使います。10月に山形の橋の上で横滑りをしたこともありましたし、鹿児島の高速道路では長い橋の上で、滑りだしたこともあります。

 北陸から関東地方に行くのも標高の高い山間部を通行するのが当たり前です。東北地方などは、北陸より湿度が低いので、割合寒くないと感じていても、路面ががちがちに凍結していることがありました。

 自分の経験から凍結の心配がなくなるのは4月に入ってからでした。4月に入ってからも雪が降ることはありましたが、路面の凍結を経験するようなことはありませんでした。

 安藤文さんのことで気を煩わせることは、仕事にも悪影響がありました。夕方から仕事を始め翌朝までぶっ通しで仕事をすることが普通にあったので、ただでさせ眠りにくい、昼間の決まった時間に睡眠をとっておく必要にも迫られます。

 私は金沢市場輸送で保冷車の大型車に乗務してから、どんなに仕事がきつく体調が悪い時でも居眠り運転をしたことがありませんでした。居眠り運転をしたのは、新車で7599号に乗務した初めての運行で、妻と長男を同乗させていました。

 金沢から筍を積んで、愛媛県の松山市内に向かっていました。早朝明るくなってから松山市に近い国道を走行していた時に、居眠り運転をし、道を外れたところで気が付き、ひやりという思いをしたのです。それで懲りたのも大きかったと思います。

 完全な居眠り運転ではなかったですが、睡魔で限界を感じたのは4月1日の事件を起こす数日前、茨城県の古河市の青果市場から野菜を積んで、浜松市と名古屋市の市場に向かっている時でした。足柄山のあたりを走行していた時のことでした。その辺りは道幅もすごく広くなっていました。

 古河市の山三青果の仕事で北陸便以外を頼まれたのは、その時が初めてだったと思います。現地でいきなり名古屋に走ってくれと頼まれたのですが、会社に電話をして了解をとると、この運行から金沢に戻ったら「あがり」にしてくれるよう頼みました。

 あがり、とは帰着した当日に運行に出ないで家に帰らせてもらうことです。帰着した当日にまた荷物を積んで出発することは、着発と呼んでいました。着発のつもりでいても、荷物がなかったり、他の配車の都合で、あがり、になることはありました。

 深夜に名古屋の市場で荷降ろしを終えてからは、知多半島の碧南市でレンガを積んで変える予定になっていたのですが、明るくなる頃には碧南市の近くまで移動したものの、予定の仕事は入らず、小牧市の近くだったと思いますが、アサヒの缶ビールを積み込みました。小松市降ろしです。

 小松市の荷降ろしが普通に翌日のことでしたが、それが運命の事件当日の4月1日のことです。小松市は金沢市の30キロほど手前になりますが、金沢まで戻ると、アパートで寝ても小松市に引き返す時間がかかるので、迷ったのですが、小松市で朝まで寝ることにしました。

 今考えると、小松市は前妻の実家のある加賀市とも近く、それで考え事も多くなったように思うのですが、トラックの中で長時間眠れないことに難儀しました。外が明るくなる前には眠っていたと思いますが、とても長い夜を過ごしたように感じました。

ツイート:motoken_tw(モトケン):2016/11/30 18:24: https://twitter.com/motoken_tw/status/803892348904030210
引用→  日本の政治家を見てると、憲法のけの字も理解してないような政治家ばっかりだもんな。 https://t.co/OLvdMI9rwl

 時刻は19時21分です。私自身が自分で決めたルールですが、タイムリミットが近づいています。モトケンこと矢部善朗弁護士(京都弁護士会)のタイムラインは更新が少なめですが、平常運航という実況です。

 予定通り、朝一番に小松市で荷物を降ろし、午前中に会社に戻りました。当日の夕方、仕事が終わってから会うことは、名古屋への運航が決まりあがりの許可をもらった時点で、電話で安藤文さんに確認をしていました。

 彼女は、やけくそのように開き直った様子で、私が言うことになんでも、はい、はい、と答えていました。

 3月23日の夜の電話のことがなにより大きかったと思いますが、そのきっかけになったのは3月18日か19日の休日前のことで、彼女がまたしても指輪を会社につけてきていたのです。それは銀色の極太形状の指輪で、前回の3月5日とは、違う指につけていました。

 祭日だったように思いますが、当時の静岡県清水市でミールを荷降ろしし、会社の指示で、古河の青果市場に向かいました。神奈川県の県境付近のパーキングエリカから、会社に掛けた電話で、私は思いっきり溜め込んでいた不満を彼女にぶつけたのです。

 予想以上に衝撃を受けたような反応が電話口から伝わり、すぐに電話を切られてしましました。すぐに電話をかけ直すと次に出たのは、被告訴人松平日出男で、いきなり「お前、アヤちゃんのこと好きなんか。あの娘彼氏おるんしゃし、あきらめや」などと言い出したのです。

 その前、私がミールを積んで徳島県の小松島市に向けて出発するときは、安藤文さんが退社をするときに、「アヤちゃん、今から例の彼氏とどっか行くんか?」と声を掛け、彼女が無言で足早に帰った直後に、被告訴人池田宏美が、わざとらしく「あの娘、彼氏なんかおらんよ」と声を掛けました。

 被告訴人松平日出男は、意味ありげに、「わしゃぁ、いい男紹介したんや」などと得意そうな態度で話していました。これは2月18日のことであったように思います。

 翌日に徳島でミールを落としてからは、翌日に、いよかんを積む予定で、愛媛県の松山市に向かいました。そして予定通り、上組の営業所か支店の仕事でいよかんを積み込んだのですが、翌々日降ろしの、新潟県内の2箇所卸でした。

 被告訴人東渡好信らに被告訴人安田敏を同行させるように説得されながら、被告訴人多田敏明を同行させて、新潟に向かったこと、その時に被告訴人安田繁克と安藤文さんの父親の関係など、ありもしないはずの話を吹きこまれたことは、7月の告訴状で書いたように思います。

 さきほど1月25日の夕方のことを書きましたが、その時は17時5分ほど前という時間帯でありながら、外はまだ普通に明るかったという記憶が残っています。

 他に安藤文さんの退社時の思い出の場面というのは、どれもすっかり夜のように暗くなった状況でした。

 どうにも時期が特定できないと書いたのは、安藤文さんが退社するとき、会社前の自分の軽四のドアを大きな音を立てて開け閉めし、休憩室にいた私に出てこいと言わんばかりの要求を、態度で示したことです。

 同じような状況は2回あったようにも思いますが、一度は、被告訴人安田敏、一度は、山下強、が芝居見物をするように、その場で見ていて、彼女が諦めて帰った直後に、席を立って帰っていったことです。

 1月の21日以前には3回、彼女の退社時に直接、裏駐車場で声を掛けており、直前になって警戒心を強め気の強い態度になった安藤文さんも、一度は表情をゆるめはにかんだ声で、「私の車で話そう」と言ってくれたのです。

 私は反射的に、「トラックでいい」と言ってしまったところ、彼女はまたすぐに不機嫌になりました。

 3月23日の4月1日の事件に直結している流れがあります。「今じゃそんな問題でない」と東名高速のパーキングからの電話で答えたところ、被告訴人松平日出男はすぐに、運航から戻ったら話をしよう、話を聞くなどと、用意していたようなことを言い出しました。

 その運行から戻り会社に出たのが3月23日でした。月曜日のことです。被告訴人松平日出男は被告訴人竹沢俊寿から払い下げてもらったようなベンツの助手席に私を乗せ、パチンコオメガ駅西店の駐車場に車をとめて、私の話を聞きました。

 細かいことは現在思い出せませんが、「お前とあの娘にそんなやり取りがあったんか? などと、一定の理解を示したようなことをいい、また、車を走らせると、会社にも近い、金石街道沿いの喫茶店、フランディというような名前の店に入りました。

 被告訴人松平日出男から事前の説明はなかったように思いますが、席についてすぐだったと思いますが、安藤文さんが店の中に入ってきて、テーブルの向かいの席に座りました。紺色だったと思いますが、普段とは違う正装に近いような服装をしていました。

 彼女はほとんど言葉を発することもなく慎重な面持ちでした。被告訴人松平日出男が、「アヤちゃんも男その気にさせたんやし、付き合うか付き合わんのかはっきりせんと、ふたまた、みまた掛けとるように思われるぞ。」などと言い出しました。

 男女関係の機微にはかなり疎いほうだと自分で思っていた私も、これは挑発的で、尋常ではない言動だと思いました。さらに被告訴人松平日出男は、「お前ら付きあおうが、セックスしようが勝手や。会社関係ないぞ。」と言って締めくくったのです。

 被告訴人松平日出男は、私と安藤文さん、それに被告訴人池田宏美の4人が2階の事務所にいる場で、昼食をおごってやると言い出し、出前をとったことも3回ほどありました。安藤文さんらの注文の価格帯に合わせ、私が注文したのは、普段食べることのない、いなりうどんでした。

 当時は27歳で仕事での運動量も大きかったためと思いますが、食事量も多く普通の定食でもまったく物足りず、定食に麺類などを普通に食べていました。うどん一杯おごってもらっても、時間の無駄で腹の足しにもならないと当時は考えていました。

 安藤文さんは恥ずかしそうに、ありがたそうにうどんを食べていました。とにかく他にみることのないぐらい、律儀で慎み深いと感じるのも彼女の人柄でしたが、とても頑固で気が強いと思える一面もありました。涙ぐむか弱い一面を見せることもありました。

 喫茶店で別れた後に、会社にいる彼女に掛けた電話であったような気もしますが、夜に私の自宅アパートに電話を掛けてくれるように頼みました。このとこも彼女は事務的に感情を消した態度で、承知した旨の返事をしていたと思います。

 私が彼女に電話を掛けさせるときは、これで関係を終わりにさせようという思いもありました。彼女もそれを感じていたと思いますが、私は彼女に対する不信感がペースにありました。

 事実上その気にさせといて、交際を断る彼女の神経に、疑問と深手の傷を負っていたからです。それに輪をかけて、思い込みなどと私を責め立て、借金の保証人のことでも非常識な振る舞いをしていたのが、被告訴人安田敏でした。

 会社からの連絡を遮るために、自宅の電話の線を抜いているとも聞かされましたが、それも紹介者である私に責任があるような物言いを遠まわしにしていたのが、被告訴人松平日出男や被告訴人東渡好信でした。輪島の浜上さんもそれに近いことがありました。

 平成4年の事件の刑事裁判では、検察の主張として何度も交際を断られながら執拗に迫っていたように言われていましたが、11月25日の電話でも交際を申し込むようなことはなく、それは事件当日まで続きました。

 3月23日の夜は、ほぼ予定の時間に電話が掛かってきたように思います。少し時間が遅れて掛かってきたような記憶があるのは10月5日の電話ですが、そのように電話を彼女に掛けてもらったのは、10月5日、3月5日、3月23日の3回だけだと思います。

 3月23日の夜、電話をかけてきた彼女は、それまでの感情を押し殺したような態度とは一変し、いきなり喧嘩腰のような態度でした。私もつられて頭に血がのぼり、すぐに電話を切ったのもこのときの電話だったように思います。

 3月5日の夜の電話の内容が思い出せなくなっているのですが、私がどこから電話をかけているという質問に、久安からと彼女が答えたのは、やはりこの3月23日の夜の電話だったと思います。

 頭に血がのぼって電話を切ってしまった私は、彼女が久安にいて、自宅には不在だと思い込んだ状態で、電話に出た両親のどちらかに意見をいって戒めてもらおうという一心で、彼女の自宅に電話を掛けました。

 するとすぐに電話に出たのは彼女本人でした。久安というのは金沢市内の地名で、現在は野々市市となっている当時の石川郡野々市町にも近い場所でしたが、彼女の自宅とは車でも、最低5分以上はかかる距離だと思っていましたし、信号機も多かったはずです。

 電話を切る前の会話だったように思いますが、彼女は、「私、広野さんに私の気持ち伝わっているばかりやと思っておった。」と言いました。この時も私は反射的に、「なんやそれ」と受け答えをしてしまったのです。

 わざとらしいようにも思いましたが、彼女はさらに起った様子で、「付き合う気持ちないこと」と言ったのですが、その言葉もストレートに私の心に突き刺さり、感情にまかせた応酬をしてしまったのです。

 かけ直した電話だったと思いますが、「はっきり言っておくけど、俺はお前のために、子どもも捨てたようなもんやな。正直、未練はあったわい。」と申し向けました。すると彼女は、それまでの態度を一変させ、ずっと鳴き続けたのです。

 傷つけることを平気で言い出す彼女からは、とにかく逃げ出したいという気持ちもありました。彼女のことを得体の知らない不気味な存在とし、自分の状況認識にも大きな不安を与えていたのが、被告訴人多田敏明と被告訴人安田繁克の言動でした。

 被告訴人安田繁克は2月1日の夜に会って話した時、彼は人間不信に陥ったという、当時は聞き慣れていなかった言葉を口にしました。

 自分自身の自信のなさもあって、安藤文さんを信じきれなかったことが、本来の大後悔の反省点なのだと思いますが、そういうことを消し飛ばしてストーカー扱いにしてくれたのも、木梨松嗣弁護士が主導した刑事裁判でした。今回はあえて、控訴審判決の判決書にも触れません。

 時刻は21時10分となっています。残り3時間を切りました。12月になる前の本日中に仕上げるのは、本文部分のみで、被告訴人を列記した表紙部分は、明日にでも作成する予定です。プリンターもずいぶん長く使っていないので、ちゃんと印刷できるかやってみないとわかりません。

 まず、本告訴状で追加をする被告訴人は、次の者となります。

 被告訴人竹沢俊寿、被告訴人東渡好信、被告訴人多田敏明、被告訴人安田繁克、被告訴人安田敏、被告訴人池田宏美、被告訴人梅野博之、被告訴人松平日出男、被告訴人浜口卓也、被告訴人大網健二、以上の数えて10名になります。

 今回、被告訴人とすることを見送ったのは、被告訴人大網健二の兄被告訴人OSNと、宇出津の酒垂という町内に実家のある被告訴人KYNです。名前も伏せておきます。

 殺人未遂罪の容疑は非親告罪であり、告訴が必要要件でないことも前提にしております。いずれも関与がうかがえるもので、被告訴人KYNの関与は、長期間にも渡り影響も大きな役割となっています。

 被告訴人KYNは、被告訴人大網健二と被告訴人OSNの兄弟に利用されたという可能性もありますが、平成3年12月頃の時点からある程度の事情を知って、積極的に関わっていた可能性も否定できず、踏み込んだ捜査が真相の鶏鳴に不可欠な存在です。

 私がもっとも気にかけているのは、録音した音声ファイルを提出した平成15年1月の、金沢市内神田の事務所での会話で、別れ際に姫のNKさんのことを持ちだしたことです。

 姫のNKさんのことも知る限りのことを書面に認め提出してきましたが、被告訴人大網健二との付き合いも深く、宇出津の河村さんとともに、被告訴人松平日出男が金沢市場輸送に来た直後に、持ち込みで市内配達の仕事をするようになった人物であります。

 私の記憶では昭和63年の8月の終わりか9月の初めに、被告訴人松平日出男は金沢市場輸送の事務所で顔を見せるようになり、市内配達の新たな責任者だという話を聞いていました。

 前任者の高田という顔は今でもすごくよく憶えている人物が、富山の右翼団体が押しかけてくるような問題も抱えたまま、とんずらで行方をくらまし、被告訴人梅野博之が暫定的な責任者あるいは指揮者のような立場になっていました。

 11月8日だったと思いますが、御庁の検察官から7月の告訴状を受理する旨の報告を受けた時、実際により重要なのは、安藤文さんを被害者とした殺人未遂の告発だとお話をしました。殺人未遂が非親告罪で、告訴告発を必要としないことも、その時にお話しましたが、当たり前の法律の話です。

 4月1日の事件で、金沢西警察署出頭前に安藤文さんが意識を失っていれば、無理心中かも知れない自殺をしていた可能性の高いことは、既に指摘したようにも思いますが、たらればの、抽象的な危険でもあります。それが法律論で、議論の分かれるものであることも、ずっと前に承知しています。

 より具体的な死亡の危険が発生したのは、被害者という犯行の客体が安藤文さんの殺人未遂であり、殺人の結果の発生を認容して行動したといういわゆる未必の故意では、比較的弱い殺意の認定ということにもなりそうですが、その手段と動機は、過去の前例もなく厳しい非難に値するものと思料します。

 平成4年4月1日という結果発生の事件であり、改正刑事訴訟法適用前の15年の公訴時効が問題になる案件と考えますが、改正前の法律でも国外生活の期間は参入しないものとなっていました。

 彼らは犯罪共同体の利益として、幇助犯である弁護士、裁判官らの有効な法律行為を利用し、不正な利益を得ていたことになり、遡って無効とされるべき法律行為であって、正当な法律行為の適用を不正に免れていたということになります。当然に公訴時効の利益を受けるべきものではありません。

 被告訴人らの処罰は、一律懲役25年を基準にして頂きたいと考えております。平成4年から25年近い歳月が経過しており、私の母親も余生を台無しにされ、病院で死界へのお迎えを待つだけのような状態となっております。

 安藤文さんの父親も昭和11年12月25日の生まれであって、まもなく80歳を向かえるはずです。既に日本人男性の平均寿命は超えているはずで、私はその生死すら確認できない状況であります。

 女性の方が平均寿命も長いはずですが、母親の安藤紀世さんも、安藤文さんの父親である安藤健次郎さんの生年と、近いものであったように供述調書の見た記憶が残っています。安藤紀世さんの供述調書は、公開することも考えてきましたが、まだ探すという行動もやっていません。

 共謀共同正犯としての今回11月の告訴状は一律懲役25年という量刑意見を提示しましたが、7月の告訴状での6名の弁護士、元裁判官の幇助犯の量刑意見は、一律無期懲役にしたと明確に記憶しています。

 従犯の刑が正犯を上回ることは、法律的にもないこととされているようにも考えますが、殺人未遂の量刑の範囲が殺人罪より軽くすべしという強行法規は探しだしたことがなく、死刑を一つ減じた量刑というのは、事案の悪質さから至極妥当なものだと考えます。

 懲役25年というのも有期刑であり、服役と同時に満期日も決まるはずです。仮釈放という制度もありますし、安藤文さんの家族がどう考えるかは全く別の話ですが、生きて娑婆に戻る可能性は残すものであり、無期懲役は完全なる娑婆終いを求める意思表示です。

 被告訴人大網健二は、木梨松嗣弁護士とのつながりが重視される関与となっていますが、平成3年12月の時点において、事実を知悉していた可能性も相当高いものとご指摘しておきます。

 それは安藤文さんの不可解な言動について相談をしていたおりも、不可解で異常だという認識をなんら示すことがなかったからです。そこには私の状況認識に対する疑問も感じるものではなく、全て折り込み済みの認識で、体面を繕っていたことをうかがわせるものです。

 平成9年から平成11年の被告訴人大網健二と被告訴人KYN、そして被告訴人OSNの言動は、膨大な事実を記録として、御庁に提出してあるはずです。とにかく私は手当たりしだいの事実を機械的に記録しました。日々の時間単位としての言動の記録です。

 私が憶えていることもあれば、忘れていることもあるでしょう。記録の必要を考えたのは、自分が危機的状況におかれていることを認識していたからです。

 平成11年お2月、いや1月の20日頃であったか、西金沢駅前の小料理屋一水において、被告訴人OSNは私に再審請求などの活動をやめるように説得し、座敷に移動するときに、「いうこときかんやつは殺してしまえ、ころしてしまえがいい」と口にしていました。

 普通にはそれほど意味のある発言とは思われないかもしれませんが、私が福井刑務所に服役中には、被告訴人OSNが社長をする会社の19歳の社員が二人絞殺されるという殺人事件がありました。美川二少年殺人事件とも呼ばれた事件です。その犯人は被告訴人大網健二兄弟の父親でした。

 図書館の過去の新聞で調べたところ、逮捕前に父親は、被害者の家の縁の下にもぐって火付けをしていた放火未遂の事件があったこともしりました。詳しいことは記憶も新しい段階で、知る限りのことを繰り返し重畳的に正面に記載して提出しております。

 美川での殺人事件と近い時期に、安藤文さんの民事訴訟の訴訟代理人になった被告訴人長谷川紘之弁護士の自宅に強盗が入るという事件もありました。これは7月の告訴状でも一通りのことを書いたと思います。

 実際の関連性を一般人である私が、ドラマの主人公のように解明、解決することも出来ませんが、司法最大の不祥事とも評価された被告訴人古川龍一裁判官の妻のストーカー事件なども、一連の事件の関係性として洗い出す必要性があるものと考えます。

 そういえば予定していたことをまだ書いていないことに気が付きました。時刻は22時49分です。

 珠洲市鵜飼の目医者の忘れることのない思い出は、診察室での年配の女の先生と年配の男性の患者との会話でした。女の先生は、治療を受けないと失明するので船には乗るなと、それは真剣になって説得をしていました。それだけ声も大きくなっていたのだと思います。

 説得を受けていた患者の人は遠洋漁船の乗組員で、それも責任のある立場の人とという感じでした。病状はわかりませんでしたが、片目の失明ではないような話でした。

 船に乗るとずっと言っていた人物が、どこのだれだったのか、その後どうなったのかもわかりませんが、静かに運命を受け容れ覚悟を決めた意思のようなものが、強く伝わる一幕でした。

 鵜飼の川では、釣りをして小さなカレイを釣った記憶も残っています。他で釣ったことのない魚だったので、とても不思議な生物にみえて珍しかったことも憶えています。

 ずっと前からたびたび思い出して考えることのある過去の思い出でしたが、それがテレビで見た宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長の最後の場面に重なって見えることがありました。

 同時に思い出すことが多かったのは、被告訴人大網健二と結婚したOMちゃんの父親の姿です。昭和63年の8月のお盆休みの時、だったと思うのですが、昼に前山のOMちゃんの実家に行きました。

 初めて見たOMちゃんの父親は、痩せて小柄な体型で健康状態も良さそうには見えませんでした。ステテコ姿のような格好であったような記憶もありますが、なにか覚悟を決めたような感じで、真剣に被告訴人大網健二に何かの相談をしていました。

 その前後に被告訴人大網健二から聞いた話だったと思いますが、OMちゃんの父親は小木港の漁船の日本海に乗船していると聞きました。その後、父親の話を聞くこともなかったので、何もわかりませんが、切迫した状況のようなものは伝わるものでした。

 もう一つ気になって忘れることがないのは、平成9年の春頃だったようにも思いますが、宇出津に来ていた被告訴人大網健二が、前日に私に午前中の時間を指示し、OMちゃんの実家に電話を掛けさせたことです。

 携帯電話を普段使っていたはずなので、どんな意図があるのかと怪訝に思っていたのですが、指示通りに電話を掛けて、電話口に出たのはOMちゃんの母親でした。

 その時の電話の対応が、冷ややかで私に対する恨みすら感じさせるものでした。昭和63年に家に行った時は、とても優しくおだやかな母親という印象が強かっただけに、考えさせられるところも大きかったですが、その後の被告訴人大網健二は首尾よく行ったように満足そうな態度でした。

 OMちゃんのことは、彼女がまだ中学生だった昭和57年ぐらいから友達の家などで間接的な付き合いがありました。いつもニコニコしていて、天真爛漫であったという印象が強く残っています。

 崎山は、崎山台地とも呼ばれ、私が小学生ころになった頃に宅地造成が始まった新興住宅地です。小さい頃の記憶には一面が畑や野花であったことも、一面の情景として記憶に残っています。

 崎山は能登町崎山となっているはずですが、1丁目から4丁目まであって各町内が宇出津のあばれ祭りにも参加しています。一時期急速かつ集中的に住宅が建設された住宅地です。

 OMちゃんの家族ももとは田町に家があったと聞いた覚えがあります。宇出津に田町という町内はないのですが、昔から宇出津小学校の近くでもある立町と横町をあわせて田町と読んでいて、その上の方には上田町というちゃんとした町内もあります。

 うえだまち、と読んでしまいそうな漢字ですが、かみたまち、です。上田町のトンネルの向こう側が、私が昭和50年の4月の初めまで、物心ついた頃から住んでいた辺田の浜です。正式な住所は能登町藤波です。

 時刻は23時35分です。残り30分を切っています。この自分が決めたルールはしっかり守りたいと思っています。

 事実関係については、これまで何度も繰り返し記述してきたことばかりなので、記憶が新しい時期のものが正確な事実で、そちらを優先して頂きたいと思います。

 何度も繰り返すことの無意味さと、弁護士脳に反復継続して記憶を強化したとか、過去の書面の焼き直しと指摘されることの無意味さも、先走って考えてしまいます。

 集中してどれだけのことを思い出し、記述できるかということも今回、一つの試みとしてやってみました。なんの資料も必要なく、ぶっつけ本番で受け答えできる事実や説明ばかりです。

 日弁連の公式発表では、刑事弁護において黙秘権こそが尊重されるべきと、あきれた主張も見受けられますが、いんちきくさい駆け引きなど、私には一切不要です。やはり記憶の劣化があることも思い知りましたが、年月の長さから思ったよりは軽いという感触もありました。

 過去の資料を読み込むか、適切なヒントを与えられれば、思い出せることも多そうです。

 この書面は、2016年11月の告訴状と呼ぶことに致します。このあとのことは、しばらく様子を見ながら考えて、2016年12月の告訴補充書などとすることもあるかもしれません。

 御庁が11月8日に受理する旨の連絡をくれなかったならば、弁護士らの無視、放置の思惑通りに、社会を信頼して立ち向かうこともできなかったかもしれません。

 さらばシベリア鉄道という曲には、「伝えておくれ 12月の旅人よ」という歌詞もあるので、年末の12月は過去のことを振り返り、今後のことを考える機会にしたいと考えています。

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